梅雨入り前,湿度37%快晴
ずっと体調が優れず,九州旅行の疲れも心配された母が元気だった。目にも声にも力がある。
母にも増して元気なのがマロン。東京でタローを送ったあとはよぼよぼと生気がなくなっていたのがこの通り。
虹の橋の愉し暮らしに慣るるとも汝が帰り来むみやこ忘るな(ミヤコワスレ)
…しらべ荘のこの辺り植え込みにはまだタローの気配が濃い。
レースフラワー。5Dが入院中なので7Dを使って母の花を撮る。
裏口を整備したのに伴って,亡き父の使っていた日曜大工道具を整理しに来るのが今回のボクの目的だった。日曜大工と言っても父はのめりこんでいて電動サンダーとかコンクリートを練ったり流したりする設備とかありえない道具もたくさんある。大工さんに使わないか聞いたがこれがまた素人向けの機械なのでプロが使うのはムリらしい。むろんボクは使えない。
ボクがしらべ荘にアイターンを決めた理由のひとつには父の晩年の日曜大工がある。あの頃(まだ70代前半だったが)すでに父は認知症を発症していたと思われる。渋谷の住宅街で早朝の4頃から金づちをふるっていた。むろんボクたち家族はそれが病気だとは知る由もない。しらべ荘は朝から音を出しても誰もいないし,農家の人はもっと早起きだ。移住してからは拍車がかかりガラクタを拾ってきてはそれを材料にアーチの門だの東屋だのを作った。そんなこんな思い出と一緒に父の道具やがらくたを仕分けして処分する。その作業は母には辛い。なおみもできない。ボクがばっさり捨てるしかない。
久しぶりに夕日を撮りに行った。ヨコをなおみがミズイロライフで通った。夕飯の買い物にJAまで下りるついでに寄ったものである。ボクが号泣していないか心配してのことに違いない。こんなときボクは必ず相棒と一緒だった。
こんなときも一緒だった。
写真を撮るのは楽しい…けどそれほどでもない。ボクはカメラではなくここで相棒と過ごす時間が好きだっただけなのだ。