鎮痛剤が効いているとき、5分ちょっとなら健常者と同じようにシャンと立って歩ける。この時間を利用して速やかにに移動や乗り換えをし、首尾よく座席を確保すれば地下鉄を使える。
タローを喪った直後に起こした眼底出血の治療が続いている。羽田と成田を結ぶ路線に相互乗り入れしている浅草線はさながら北京行きかと思うほどだ。
そうか、春節。もう2度目の春が来るのか。
視界の歪みはずいぶん取れて来たが視力が戻らない。次は造影剤で血管の検査をするようだ。
帰りに思い切って馬喰横山の駅で立ちそばに挑んだ。匂いの誘惑がハンパないのである。
去年は(たぶん麺の防腐剤や出汁の化学調味料を)胃が受け付けず吐いてのたうち回った。あっさりインフルエンザに屈したのも今頃だった。思えばよく生きていたと思うほどに弱っていた。
浜田省吾さんの若い頃にPAINという歌がある。
二度と立てぬ痛手なのに受け入れてく…不思議だ人は
蕎麦を食べても平気だった。不思議だ人は。