母と二人で荷物を満載した車で中央道を西に走る。
午後から天気が崩れるという予報だった。
ボクもしらべ荘で一泊することにしたため,なおみはあきらめて留守番させることになった。
韮崎を過ぎて急な上り坂に入ると,八ヶ岳は正面に聳えながら近づく。
今年もしらべ荘を開ける季節が来た。
そして夏の間,母の一人暮らしが始まる。
モエ姉がスーパー高齢者と名付けている母もさすがに足許が危なくなってきている。
山での一人暮らしはとても不安だ。
だが東京にいてもボクたちにやたら気を遣いながらほとんどを家の中で過ごす毎日である。
今年は大切な人に贈る手編みの座布団をひたすら編んでいた。31枚編んだ。
それに比べればしらべ荘での気ままな暮らしはずっと良い。
自分で炊事や身の回りのことをするのも健康で長生きの秘訣だろう。
車を安全に運転できる限り,山で暮らすのがいいと思う。
今年はしらべ荘自体に冬の間の大きなダメージはなかった。
が,庭のコヒガンザクラが幹の途中でさっくりと割れて折れてしまっていた。
先月末の重い雪にやられたのだろう,まだ,避けた痕が生々しい。
暗くなるまで電気のこぎりを使ってその始末に追われた。
15分くらいでしゃがまないと腰がもたないが,これまでのような激しい痛みと痺れがない。
母のポットがバッハのメヌエットを演奏してお湯が沸いたことを報せた。
今のところボクのチェロよりちょびっと上手に奏でる。
夕飯は母のおごりで茅野の勝美庵。
帰宅してJAで買って来た地酒を飲り始めると母が盛んにおつまみをつくってはサービスする。
マロン…かなり弱ってきているが母の話し相手として存在感が大きい。
翌朝,母と新府の桃を見に行った。
鳳凰三山
昨日バッテリーをつないだアオイロライフの試運転も兼ねている。
八ヶ岳
甲斐駒(クリックすると大きくなります)
富士(クリックすると大きくなります)
八ヶ岳に戻るとお昼だった。LCVに連絡してインターネットの再接続を待ったら2時になってしまった。
それじゃ,オフクロ。帰るよ。