原因不明の腹痛に悩まされている母から大腸内視鏡検査が決まったと連絡が来た。
中央病院への送り迎えが必要である。急遽,週末に原村に行くことになった。
看板のキシラデコールを急ぐ。
文字は前面にだけマスキングして,同じく濃いキシラデコールで塗ることにした。
母は検査を決めた医者の診断を重く受け止めて,もう半分くらい大腸がんを覚悟しているようだ。
だがボクはその可能性は極めて低いと考えていた。
腹痛が出るほど大腸がんの進行した患者の顔はあんなにつやつやと元気ではない。
10中8,9神経性の胃炎だと思われる。
だから原村行きもついでの看板作業や庭の草取りの方が実はメインである。
日曜出勤のあと夜行した。
翌月曜の朝早くから母の下剤がけが始まっている。
お腹が痛くて苦しいからと,下剤を勝手に途中でやめていた。
上の写真はそれをなおみに見つかって叱られたところである。
この様子なら検査してもがんの可能性はほとんどないだろう。
母を送って久しぶりに中央病院に行った。
父が最期の頃は足繁く通ったものだ。
ホームセンターに寄ってからいったんしらべ荘に帰って看板作業をした。
なおみはネコに5杯もハルジョオンやタンポポを抜いた。
ト音記号はなおみがひく。
LINEに母から検査終了の連絡が入った。
「88才にしては驚異的にきれいな腸壁」
という予想通りの結果だった。
数日前からくよくよと心配で寝られなかった母は,部分麻酔をかけた途端に寝落ちしたらしい。
目が覚めたときは検査が終わって30分も経っていた。
がんのプレッシャーが外れて少しは元気になった母はPCのフォトショップの使い方を質問している。
ちょうど今年の3月にボクも内視鏡検査をした。
どうやら新しい機械が開発されて,今はやりのようだ。
疑わしきはどんどん内視鏡検査に回されている。
検査で異常はなかったが母の腹痛は依然として治まらない。
だが痛みの位置からみて大腸でなければ深刻な病気の可能性は低いだろう。
夕飯は母のおごりで和牛のステーキを買って来て焼いた。
遅くならぬうちに帰京する。
満月の夜だった。6月の満月は高度が低いので赤みがかって見える時間が長い。
最近は気象予報士までがストロベリームーンと呼ぶがまゆつばである
ネイティブアメリカンが英語で月を名付けるとは考えにくい。
誰が言い始めたのか知れないが誰も確かめていないだろう。
先住民のイチゴという単語が残っているかどうかも疑わしい。
中央道を東京に帰るまでずっと雲間に見え隠れしてついて来た。
母が大腸がんでなくてよかった。100才くらいまでは軽く生きるだろう。