どうやら政府や都の緊急事態宣言や自粛要請には根拠となるデータも対応した支援策もないらしい。
半ば自粛を強制した裏で医療体制や検査体制の整備を強力に推し進めている様子もない。
思えば現状を把握せずにオリンピックは必ず開催すると言っていた頃が重要な初動期間だったと言えよう。
その中止が決まったとたん,手のひらを返したようにやれステイホームだ,緊急事態だと言い始めた。
今もたぶん対策はない。マスクと現金をばらまいてあとは禍が過ぎるのを待っているだけだろう。
ちなみにボクはあの首相にもこの都知事にも一度も投票したことがないがみんなで決めたリーダーの言には粛々と従ってきた。
最初に自粛に入ったのは緊急事態宣言のはるか前だったし二度目の自粛を決めたのも休業要請の5日前だ。
ましてボクたちの職場は休業要請の対象ではない。
だがボクにも生活や小さな会社や顧客の利益を守る権利と義務がある。
今週からの自粛解除を決めた。事前のアンケートで顧客の95%の賛成も得た。
おそらく今度も一週間ほど遅れてあいまいな理由で緊急事態宣言も解除され,自粛要請も緩和されるだろう。
経済的にはともかくボクたちの自粛期間は充実していて精神的には決して自粛ではない。
非日常を楽しんだ。宅配の途中で新たな史跡も発見した。亀戸の富士塚跡である。
筆談と言うアナログなテレワークは思いのほか絆を深めるものだった。
5月17日
14日に東京と神奈川、千葉、埼玉、大阪、京都、兵庫、北海道を除く39県で緊急事態宣言が解除されてから初めての休日。
所要あって渋谷に出かけた。センター街にも表参道にも人通りはほとんどない。
ボクたちの見る範囲では東京の一般市民はマスコミで報道されているよりもずっと真面目だ。
家に帰るとマロンから荷物が届いた。
花を贈ったことへの言わば香典返し。
花はボクたち以外からもたくさん贈られたであろう。
母はひとりでこれらを手配したと思われる。
母をじわじわとマロンロスがおそっているだろう。
ここ6年間,母は夏の間マロンと二人暮らしだった。話す相手もほとんどマロンだった。
その喪失感は今のボクたちには容易に想像がつく。
ボクたちが89才の母に会いに行けるのはいつになるのだろう。
いまだ東京から長野への移動は社会的には認知されにくい行動である。
しかし不急ではあるが不要ではない。
東京の緊急事態宣言解除,もしくは自粛要請緩和を潮にしらべ荘にも行かせてもらう。