しらべ荘で一人暮らしする母は89才である。おかげさまでスーパー高齢者と呼ばれて元気に暮らしている。
しかしだからと言って何カ月も一人きりというわけにはいかない。
粗大ごみやWi-Fiルーターや車のメンテナンス,そして災害対策など必要な用は溜まっていく。
もちろんそれだけではない。メンタル面のケアも大事だ。
問題は行く時機である。
感染拡大が進み,東京はGo toキャンペーンから除外された。東京から地方への移動に対する風当たりは強い。
…が,8月が現状よりいいという保証はない。ボクらはしらべ荘行きを決め,就業後に中央高速に乗った。
梅雨の晴れ間か,予報に反して翌朝は夏空が広がった。涼しい外作業という目論見は外れた。
母はここ数年で最も元気である。暗いうちからボクたちを起こさないように外に出て庭仕事をしていた。
沼津から助っ人が到着。かれこれ20年近くの付き合いになる気の合う親友だ。
「無限の草刈り,らじゃりました。」…と作業に入る。新型の刈払機は充電式の電動…低いモーター音しかしない。
奥方は北東の通称三角地帯にある藤棚の再生に着手した。
なおみは重装備でシナノギシギシの逆襲に挑む。
初夏に耕した南東の畑に再びシナノギシギシがはびこり始めた。母の作戦では
「シナノギシギシにコスモスをぶつける!」
雑草は雑草で制すとのこと。その作戦に従い一兵卒はコスモスの苗を持って泥の中に突撃した。
一方三角地帯である。ここまで荒れたのはこの木橋の老朽化が原因だ。
知っている人も多いが母は橋が大の苦手である。少しでも揺れると渡れない。
その結果,三角地帯の手入れができなくなった。
解体すると木材はまだ健在である。土台の石が崩れている。
掘ってみると亡父が積んだらしき石垣が30cm以上の深さで姿を現した。
そのまま三角地帯へ石畳の道が普請されている。いやはやタイヘンなシロモノだ。
さながら遺跡の発掘の様相を呈する。
ボクはほぼ終日をこの石垣の修復に費やした。積み直すには相当な量の石が必要となる。
森のクリークを遡って適当な平たい石を運ぶこと数回,腰は完全にブレイクした。
お昼,それぞれが現場からパラソルの下に集まる。
ランチは友人が持参の非常食試食会。定期的に非常食や非常用グッズを点検入れ替える。
南海トラフが警告されて久しいが地元の備えは東京とは水準が違う。
単に友人の性格によるかもしれないが…。ここ近年は水害も心配される。
沼津から三島にかけて狩野川水系の低地が広がっている。
標高1150mとはいえ,昼過ぎの直射日光の下…。庭仕事は中断し,ホームセンターの買い出しに町まで下りた。
沼津ナンバーの車を借りた。品川ナンバーの車で町に下りるのは少々危険である。
サンジソウが開いた。横に架けてあるのはリース用のつる枝だ。三角地帯を伐採したときに採った。
ホームセンターで買ってきた杭を手すり代わりに打ち込んで橋の普請も終わった。
一日中草刈りした親友は笑顔で帰って行った。気の合う彼と何かをすると楽しい。
機械工場を営む彼には重圧から解放されるこんな一日が必要なんだと思う。
二日目は小雨模様だったので刈った雑草を片付けたあとは家の中のことをした。
有線コードを回してWi-Fiのルーターを玄関に持って来た。母はLINEのヘビーユーザーである。
家の中では繋がりやすくなったが庭の半分がWi-Fi圏外となった。課題が残る。
なおみはなんと二階のクローゼットの整理と清掃に着手した。
奥の天井近くの羽目板が外れていて断熱材がむきだしになっていた。
筋肉痛をおして大工仕事した。衣装ケースを動かすと…
「&%$★☆彡##-!!!」(なおみの悲鳴)
…ヤマネのミイラが落ちていた。外れた羽目板の隙間から侵入して戻れなくなったのだろう。
天然記念物である。
小雨の庭で母が呼ぶ。
ブルーベリーが鈴なりに成っていた。
墓参り。
母がボクらの労賃にうなぎをごちそうしたいと言ったが町の料理屋に行くのは憚られるので断った。
その代わり村のJAで刺身をぜいたくに買って天才ちらし寿司をした。
夕飯のあと「今度はいつ来られるか見当もつかない。」と母に言ってしらべ荘を後にした。
9時半には東京に帰った。