サイクルキャリアを下ろして久しぶりにタローステッカーのボックスを屋根に載せる。
コロナ禍の最中とは言え,一人暮らしの母の生活にはそれなりにボクらの必要な用がたまる。
しらべ荘を建てるときに庭に6本ほどの白樺を残した。
倒れたり,伐ったりして庭の真ん中に最後に残ったこの木…
ずっと我が家のシンボルだった。
しかし昨今の台風の激しさを考える。去年も一昨年も台風による倒木で一帯は停電した。
一昨年の台風21号では我が家の西端の白樺も倒れて私道の電線にかかった。
この白樺も木としての寿命は過ぎている上に,家屋とこの距離である。
今年の台風シーズンが来る前に伐採することを決めた。
諏訪地方は快晴,このあと昼過ぎには珍しくしらべ荘でも気温が30℃に達した。
だが渡る風は爽やか,木陰は涼しい。東京の暑さとは比ぶべくもない。
木こりさん到着。いつもの沼津の親友夫婦である。
彼らが初めてしらべ荘に来たのは2001年の秋。白樺の歴史を知る一人である。
栗の木と桜の木からワイヤーを取った。
白樺は狙った角度にぴたりと倒れた(動画参照)
植木鉢がひとつ割れただけ。木こり,凄腕!!
30℃超えの炎天下の中,運べる重さに玉切りもしてくれた。
栗の木は母のリクエスト。たくさん実をつけるが枝が遥か高くて収穫できない。
母が花壇の材料にしたいというのでこちらはなおみが電動のチェーンソーで切っているが栗は固い。
ようやく完了。
栗の寿命は50年,ここから再生するか勝負である。
ホントに久しぶりに諏訪へ下りて角上へ行った。
握りずしと和牛を買って帰る。働いてくれたみんなと夕食の卓を囲んだ。
母以外,誰もが大勢で食事をするのは3月以来のことだった。
明けて月曜日。
長年,庭に君臨した白樺の幹を処分するのはしのびない。
庭のアレンジメントにしたらどうかと提案したのは沼津のみーちゃん(奥さん)だ。
みんなで運ぶ。
この日も暑くなった。
中央の歩道沿い。
十字路。
マロンの墓や畑への道もつけた。
全貌。
白樺くん,長い間ごくろうさま。
さて,こちらは道普請。母が発掘した敷石の最後の一枚はボクの作業に取ってあった。
そして招かざる客。新たに四つもハチの巣がかかっていた。
タローを喪って以来,虫だとて殺生するのは堪えるようになった。
しかし巨大化すれば危険である。4つとも始末した。これは男の仕事だ。
午後からは雨の予報だった。お昼を食べると母が
「混まないうちに早く帰れ」
と,心にもないことを言う。夕飯まで居ようと思っていたが義母を送らねばならない。
母の言に従うことにした。
明るく手を振る。明日からまた1ヵ月ひとり暮らしだ。
村のスーパーでは野菜が東京の6割ほどの値段だったので近所の知人へのお土産に直売所の野菜を買った。
中央道を八王子で外れ,町田を経由してまた稲城に戻った。
原村を出たのが15時,帰宅したのは20時を回っていた。
渋滞する町田を出るとき,スーパーでピザの生地を買った。
原村で買ったバジルとトマト,それに美幌のゆきちゃんが手作りのケチャップをふんだんに使った。
テレビは録画しておいた「麒麟がくる」。今週から再開された。