OUR DAYS 2020年2020/12/14

89才の母の東京での免許更新は不調に終わった。

高齢者が免許を更新するためには認知症のテストを受け,実地試験を受け,それから通常の検査に赴かねばならない。コロナ禍にあって密な場所にリスクのある高齢者が三度も行かなくてはならないことはそれ自体が問題である。その上それぞれのテストの予約受付の電話はめったなことではつながらない。都合の良い日時を選ぶことなど実質できない。コロナと関係なく改善されるべきである。

取れたテスト日に合わせて肺炎の重症化リスクの高い母を八ヶ岳から府中や新宿にある試験場や検査場に送るため,ボク以外に弟や知人が何度も車を出して連携した。母は認知症テストも実地検査もかなりの好成績でクリアした。だが結果的には新宿で免許の更新はできなかった。

新宿免許更新センターの係員がその場で母の補聴器を外させて後方から声をかけるというテストを行った。緊張していた母にはその声が聞こえなかったのだ。もともと母は運転するときは常に補聴器をつけている。だからメガネと同じく補聴器を免許の条件に加えれば問題はない。ところが補聴器の条件をつけるためにはもう一度府中のテストで受け直さなければならないと係員が言った。

府中では補聴器について何も言われなかった。誕生日までに府中にもう一度行くことはムリだと泣いて取りすがる母を係員はにべもなく振り切った。母は都庁の喫茶店でひとしきり泣いてからタクシーで帰宅した。

この話を母のLINEで知って最も憤慨したのはなおみである。出勤途中の車の中で松本の免許センターと茅野警察署に電話し,職場に到着する前に長野での再テストの手はずを調えた。ギリギリセーフ。週末に母を送って八ヶ岳に行くとき付き添って茅野警察署まで行ける。

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母が免許を必要とするのは原村しらべ荘でひとり暮らしするためだ。仮に村のJAまで買い物に下りるときにはご近所の方の手を借りるとしても,家から500mほどのところにあるごみの集積場と直売所までは自分で車を運転しないと自立生活はできない。

今年はコロナ禍でボクたちも諏訪に行けるのはこれが年内最後になる。母にとってなおみが取り付けた茅野警察署でのテストが実質的に最後の一発勝負となる。

そして当日、

「お母さん!検査の人に不安を与えないようここではしゃんと振舞ってください!」

「はい。わかった。」

緊張で武者震いしながら母は胸を張って警察署に入った。

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ところがボクたちの緊張感とはうらはらに茅野警察署の対応はのんびり穏やかだった。

あれ?

係員の警官は女性で東京とはぜんぜん違う心の通った話し方である。

「補聴器の条件を付けていいのでもう東京に行かずに更新できるようにしてください。」

ボクは窓口でそうお願いしたが,

「佳子さん(母の名をちゃんと呼ぶ)とやり取りしましたが,補聴器の条件が必要とは思えません。もう一度テストさせてください。」

と女性は言う。なおみが電話で詳細を話した別の女性も相談に入ってきてくれた。

二人は母の手を取って警察署の前の駐車場に連れて行った。ボクたちが停めた車のすぐ隣である。母が立たされた場所の後方に装甲車がやってきて停車した。装甲車が小さく,大きく,長く,短くクラクションを鳴らす。うしろ向きの母がその都度右手を挙げる。補聴器をつけて,それから外して…。

「補聴器の条件はつきません。」

と女性警官はにっこり笑って言った。

屋内に戻ってその場で更新の手続きをしてくれた。免許証用の写真はその係員がデジカメで撮影する。髪を気にする母に手鏡が手渡された。そして交通安全手帳のカバーの色を楽しそうに選んで手続きは終わった。免許証の住所は原村に変わったがこれでゴミ捨てと買い物には自分で行ける。

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「10メートルの距離で,90デシベルの警音器の音が聞こえる。」

これが補聴器なしの条件と定められている。だから茅野警察署の駐車場のテストは合法であり,新宿の免許センターで行われたテストはあきらかに違法である。

気丈にしていた母はしらべ荘に帰宅すると緊張と疲れと安堵とでしばらく寝込んだがすぐに元気になった。車の運転も一人での越冬もこれなら大丈夫。高齢者には個人差がある。

ところで茅野警察署の耳のテストだが10メートルほど離れた場所でボクとなおみはそれを見学できた。母の視界にも入っている。

「あのテストさ,オレがあっちで合図してたら聞こえなくても合格しちゃうね。」

「ほんとだよ。あんたが見えてたもの。」

「係員にばれないように左手で鼻をさわったら音が鳴ってるっていうサインね。」

ボクは野球の三塁コーチャーのように手ぶりして見せた。風花の舞うしらべ荘の午後,三人でひとしきり笑った。

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