母は施設にいるわけではない。90才の一人暮らしである。だからいくらコロナ禍とは言えボクたちがほったらかしというわけにはいかない。
それでも緊急事態宣言の解除を待って3ヵ月ぶりにしらべ荘に行った。想定外の尿管結石騒ぎのために到着は12時過ぎ。
雨が小やみのときを狙って近所に挨拶回りするだけで終わった。
明けて月曜日,天気は予報ほど良くない。
「けんちゃんが来てるよ!!」
と早朝に母の声。ケーンと鳴くからけんちゃん,つがいで近くに棲んでいるらしい。
けんちゃんを撮るように頼まれていたボクは気温2度の庭に寝巻,サンダルで庭に下りた。
なおみがJAの開店めがけて村に下りて花を買ってきた。
マロンが旅立ったのは去年の4月。栗の木の下に眠っている。
タローとマロンの逝き方は対照的だった。
タローは体調を崩してからわずか2ヵ月で急死したために,それを受け入れられないボクたちは今も苦しんでいる。
一方マロンは2年近く介護の状態が続いた。後ろ脚が不自由となると,視力も聴力も弱り,認知症も進んだ。
5度も危篤となり,その度に母は泣いた。苦しんで苦しんで最期のときはむしろほっとしたというのがみんなの正直なところだろう。
そして介護とストレスから解放された母の体調はV字回復した。
ボクたちがいてもスティックを持って出かけるウォーキングは休まない。
母が無事越冬できた理由は三つ。ひとつはこの回復,そして記録的な原村の暖冬,さらにはご近所の助けである。
灯油の補給など予想していたボクたちの力仕事はほとんどなかった。
テレビが消えない。BSが見られない。iPhoneの電池の消耗が激しすぎる。などなど。
さらにせっちゃんのPCの相談,ぱんさんのガラケーに写真が送れないと出張作業もあり。
せっちゃんこと元フリーアナウンサーのKさんと母はよほど気が合うようであっという間に親友となった。
一時帰京する母を乗せて昼過ぎには原村を発った。
父の墓にも生花を買ったが,この付近ではまだ花は咲かない。他県からの仕入れになるので午後には品薄となる。父の花はマロンのより少々プアなものになった。
八王子で高速を下り,義母の家に寄る。
寄ると言っても平日午後,16号や町田街道の渋滞はハンパない。
90才母と股関節骨折入院手術後の義母と…お互いのあまりの元気さに驚いていた。
庭はハナニラで埋まっていた。
Spring star flower(春の星)という呼び名があるようだ。夕暮れると庭はまるで春の夜空のようだった。