OUR DAYS 2021年2021/04/13

矢切の師匠の陶芸家としての実績は目覚ましい。

最高峰と言うべき日本伝統工芸展だけでも6度入選していて,他の入賞歴をここに書いていたらたちまち画面が埋まってしまう。最近は腕利きの中国人陶商の目に留まり,世界中から注文が来る売れっ子作家だ。コロナがあろうとなかろうとひたすら工房にこもっていなければ注文に追い付かない。

驚嘆するのはその陶歴がすべて50才を過ぎてからのキャリアであることだ。それまでろくろに触ったこともなかった。確か勤務先の女医さんに誘われて陶芸教室を訪ねたのがきっかけだとどこかで読んだ。師匠より上手だった女医さんは若くして亡くなった。

ボクは母のweb友として知り合い,PCやWi-Fi環境のアドバイスをするようになった。以来,人気陶芸ブロガーとしての彼をIT面からサポートしている。ボクのIT知識など高が知れているのだが,師匠はそれをとても感謝して,いつもボクを下にも置かない扱いをする。

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タローの骨壺を焼いたのも師匠だ。お店で購入したら一体いくらくらいするのか怖くて聞けない。ボクが師匠のPCのメンテナンスをするときにはいつも横にタローがいた。骨壺を作るときはタローの骨をなでるように慈しみながら壺の寸法を採っていた。そういう心の持ち主なのである。でなければ,いくら才能があってもあんなに繊細で美しい作品を生み出せるわけがない。

その骨壺を焼くとき,メモリアルの皿にボクが絵付けさせてもらって一緒に焼いた。それが初めてのことでとても満足できる絵にはならなかった。

「いつでも準備しておくからリベンジしに来な。」

と言ってもらってから早や1年半,コロナ禍はいつ終わるとも知れず,むしろ夏に向けて行きづらくなる可能性が高い。昨日,4月中の午前中空いている日を書いてLINEで都合を聞くと,即電話が帰って来て今日伺うことになった。

約束の時間,仕事中を慮ってそっと工房の戸を開いた。

「なんだ。誰かと思ったよ。」

言葉とは裏腹に奥の作業台には真新しい敷物,ピカピカに洗ったパレットや筆洗,そして皿が準備されていた。

前回は釉薬をひいた後に絵付けして思うようにいかなかった。だから今度は素焼きの皿を作ってくれた。

パレットナイフのガラスの柄をうっかり当てると端があっけなく欠けた。

師匠の手にかかるとそれが魔法のように治った。

素焼きの水の吸い方は半端ない。イメージトレーニングしていた描き味とは全く違った。

額から脂汗が落ちた。

午前中で終わると思っていた自分が甘かったことを思い知った。

いちおう本焼きをお願いした。が,結果は推して知るべし。

こんな悔しい思いを久しぶりに味わった。

「師匠,すみませんが次は休みの日に一日やらせてください。」

自分の準備不足は棚に上げてなんとも横暴な話ではあるが,師匠はひとこと

「いいよ。またいつでもおいで。」

とだけおっしゃった。おそらくは絵描きとしてのボクの悔しさを知っている。

 

この日,ランチもごちそうになった。師匠の夫人もご一緒された。なおみをとてもかわいがってくれている。

 

市川駅にある創作イタリアン「もりなが」

その感染対策は徹底している。即ちランチもディナーも同じ時間帯に二組しか予約を取らない。カウンターに一組とテーブルに一組だけ。だからアクリル板やビニールシートも必要ない。

師匠の茶器が飾ってある。「もりなが」は作家の器を使って料理を提供するのもウリのひとつだ。

若い夫婦が長年の夢をかなえ,ここに店をオープンしたのが去年の2月。時悪しくいきなりコロナ禍が襲った。師匠のブログで準備のときから経緯を見守っていた。かわいそうだが夏までは持つまいと思った。老舗料理店や人気店が次々と閉店に追い込まれている。新しい店が生き残れる状況にはなかった。

ところが1年と2ヵ月,二度の緊急事態宣言を乗り越え健在である。実際に食べてその理由は分かった。腕が確かだった。

パスタの皿は師匠の作である。

店の規模が小さかったのが幸いしたと師匠も本人も言うがたぶんちがう。店を存続させたのは客の舌だろう。

山の上ホテルと神楽坂の料亭で技術を磨いたという。若くてもプロフェッショナルである。

コースの最後に飲み物がつく。抹茶を頼むと師匠の茶碗のコーナーから好きな茶器を選ぶ趣向である。

師匠が50才でプロの道に入ってから糸抜き波状紋を編み出すまで10数年の時を努力している。今日はすっかり老若二人にプロの何たるかを教わった。

…師匠の最新のブログもほとほと恐るべき内容である。→桃青窯696「失敗とのつき合い方」

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