OUR DAYS 2021年2021/08/12

1201.jpg

 なおみの入れているコーヒーの香りで目が覚めた。庭を見ると母の姿が見えない。

急いで外に出てみた。車はある。庭を探すと奥の方で花を摘んでいた。

1202.jpg

 ボクたちが帰りに義母の家に寄ることになっていた。

義母に何もお土産がないからと朝摘みの花束を託された。雑草の合間から宿根草が健気に花を咲かせている。

母もさぞや手入れしてやれないのがもどかしいだろう。

1203.jpg

 だが回復を慌ててはいけない。内科の診療は来週なので立ち会えない。先生に手紙を書いた。

今日からまた母は一人暮らしになる。東京にはどうしても帰りたくないという意思は固い。

できる限り望み通りにさせてあげたいと思う。

そして一人でなんでもしなければならない生活が母の健康を支えている。

いつまで一人暮らしが可能なのか,それを判断できるのはボクとなおみだけだ。

ゆうべのうちにほとんどの荷物はなおみが作ってあった。

ボクの仕事はせいぜいスマホやタブレットの充電器やコード,それにカメラ機材くらいだ。

1204.jpg

 星や夕景や蝶や花や…いろいろ想定してタイヘンな機材を運んできたがおおかた使えなかった。

 

1205.jpg

 鉢巻道路からレインボーラインを長坂に向かう。帰京する前にもう一度腱引きの施術を受けるためだ。

9日もそうだったが小淵沢から清里方面にかけてたいへんな車の数である。

東京,横浜,千葉,埼玉,名古屋,大阪…

感染症のリスクと隣り合わせの都会から逃れたい気持ちはわかる。

1206.jpg

 時間調整のために途中のプチ観光地に立ち寄ってみた。

「タローが下りていくのはここね。」

渓流に来るとボクたちにははしゃぐ愛犬の姿が目に映る。明日は月命日だ。

腱引きはまたまた効いた。これに賭けようと思う。

長坂インターは朝から晩まで慢性的な渋滞に陥っていると先生が教えてくれた。

レインボーラインを須玉に下り,さらに韮崎インターまで行くことにした。

1207.jpg

 道の駅に寄って伯母へ信玄餅を買った。

昨日,叔母から母への電話に偶然ボクが出た。久しぶりに話して会いにい寄ることにした。

お土産なんか要らないと言っていたが,なおみが信玄餅を提案すると電話口でぐらりと動揺するのが分かったという。

相変わらずおちゃめな伯母である。

高速のパーキングは密の可能性があるので道の駅で蕎麦も食べた。

来るときに双葉SAで食べた夕食の1/3の値段だったが新鮮な茄子がからりと揚がっていてこちらの方がうまかった。

八王子から多摩経由で伯母の家に行った。

伯父の仏壇にお線香だけと家に上がるとボクの絵が飾ってあった。

生前,伯父が額縁を手作りして大事にしていたという。

1208.jpg

 入笠山を背景にコスモスと田んぼが描かれていた。記憶にないがボクの画風に間違いない。

伯父はボクの唯一の弟子だった。写生にも何度か一緒に出掛けた。

今度,この絵の手入れに来ますと言ってお暇した。

伯母の家と義母の家は車で15分くらいの距離である。

1209.jpg

 義母もまたずっと体調を崩していたがなおみの顔を見て少し元気になった。

母の花束を居間のあちこちに分けて活けた。

1210.jpg

 それからなおみと夕飯の買い物に行き,ピアノを教えていた。

かなり猛練習していたそうだ。ボクもうかうかしてはいられない。

1211.jpg

 夕飯はチーズたっぷりのなおみのピザ。母が持たせた冬瓜は義母がコンソメに仕立てた。

リクエストがあったのでボクはまた茄子の味噌炒めを作ったが,味付けは100%名古屋味噌だよりなので腕の見せようがない。

1212.jpg

町田から渋谷まで考えられる限り大切な知り合いの家に寄っては今朝採りのトウモロコシを届けながら帰った。

NEXT