KモータースからいきなりLINEが来て,土曜の出勤前に慌ただしく夏タイヤの交換をした。
そのために今朝はホイール磨きという正しい休日の過ごし方で始まった。 15時30分,チャリ活に出発。
江古田駅前まで片道8km。ボクたちにとってはけっこう長距離と言えるが…。
行列を見るとチェック。
有名店もしっかりチェック。…しばしば停まるためになかなか進まない。 グーグルマップの標準時間36分のところを1時間近くかかってようやく江古田に到着。 日大芸術学部の正門にはもうマリコが待っていた。
彼女の卒業制作展を見に来た。
マリコについてざっと書いておく。 ボクたちの教室の中学受験科出身だが,難関の志望校に合格させてあげることができなかった。 驚いたことに不合格の数日後,お母さんとスキップしながら受付にやってきた。 「高校入試もここで勉強したい。」 と言って中学部への入会手続きをした。 どんなにがんばっても結果が出なければ敗軍の将(ボクのこと)は更迭されるのが業界の常識である。 その不文律をあっさり破った初めての母子だった。 ボクたちはこの雪辱戦に奮い立ち,3年後に彼女は超名門都立高校に涙の合格を果たした。
忘れられない子の一人となったが続編がある。 理由までは詳しく聞いていないが,マリコは高校に馴染めずに中退してしまった。 ギリギリまで追い詰められて精神を病み,拒食症を患った末のことだった。 そしてガリガリに痩せ目を落ちくぼませた姿でふらりと教室を訪ねてきた。 あの日,よくボクたちのところに来てくれたと今でも思う。
そしてその日,彼女を励ましたのがタローの教室での最後の仕事となった。 急死する数日前のことだった。
ただ,話を聞くことしかできなかったボクたちがそれほど役に立ったとは思えない。 だがその後,彼女は大検をあっさりクリアし,なんと日大芸術学部のデザイン科を受験すると言った。 もともとイラストのような絵は描いていたが,日芸のデザインと言えば芸大にも匹敵する難関校である。 その受験勉強のさなか,ボクはマリコを冬期講習の講師に招いた。 たった3才しか変わらない受験生を指導する彼女はすっかり自信を取り戻し,ボクらのよく知るマリコになっていた。 中3のときですらボクが舌を巻くほどの国語の読解力を持つ子だった。
果たしてその春,彼女は日芸に合格した。
彼女が卒業制作にした絵本は大ホールの展示場にあった。
今度はその画力に驚かされた。
「シュウ!」 とだけなおみが言った。それだけで意味は分かる。 彼女の絵本のキャラクターはボクが制作中のイルカよりかわいい。 だが,やすやすと負けるわけにはいかない。 これから彼女はボクの強力なライバルである。
見学中だった他学科らしき学生にシャッターを頼むと西アジア系の外国人だった。
「もちろんです。」
いつも思うのだがこれは「Sure」の直訳なのだろうか。それとも「Of course」だろうか。
「はい,お父さま,もう少し左に寄ってください。」
そう言って熱心に何枚もシャッターを切ってくれたが,芸術学部の学生にしては写真は下手である。
マリコの案内で閉展時間ぎりぎりまで他の子の制作を見て回った。 ボクたちが立ち止まると,彼女はその作品の作者である友人の作風や人となりについて熱心に熱心に説明した。 ボクはその横顔をしみじみと見た。友について熱く語る彼女,その大学生活の充実は推して知るべし。
帰り道はすっかり暗くなった。中野通りのソメイヨシノも咲き始めている。 予想通り靖国神社標準木の桜も開いたと見え,気象庁から東京の開花宣言が出た。