OUR DAYS 2022年2022/5/24

世に名医は女医の多いことである。今日、母の認知症検査に訪れたクリニックの院長のことである。地元渋谷では評判の高い先生だが、診察室で会った彼女はちょっと服のセンスを何とかしてくださいと言いたくなるようなコミカルな外見のおばちゃんだった。ところがどっこいウデは滅法立つ。

東京に来て体調を崩した母は、そのストレスから精神的な安定を欠いた。意欲をなくし、生活リズムを崩し、やがて物忘れが激しくなった。父の認知症にずっと気付かずに臍を噛んだボクは認知症には過敏である。母の症状はアルツハイマーとは違う。突発性の認知障害である。だが2月、3月、ボクたちは母の体調不良の方に振り回された。東京の主治医はおそらく的外れと思われる専門検査を次々と求めた。4月に原村行きを試みたが体調はむしろ最悪の状態になった。心も鬱が疑われるほどネガティブな状態に陥った。

ようやく容体が安定したのは連休が明けてからだ。母はほぼ毎日、原村にはいつ帰れるのかと同じ質問をする。病気の検査がすべて終わるまで無期限延期とボクは毎日答える。それでも、来週は帰ることになった、今度の週末には連れて帰ってもらえると、勝手にLINEであちこちに発信する。親戚や友だちが壮行に訪ねて来る。もちろんボクはそんなことは一言も言っていない。典型的な認知障害の一つである。

だが確かに東京の暮らしは穴居生活に近い。何とかしらべ荘に戻らないとこのまま寝たきりになる可能性もある。ボクはモチベーションを上げるために条件を3つ出した。

1. なおみに言われなくても薬を忘れずに飲む。

2. 朝食を作って散歩する。

3. 教室までピアノの練習に来て、昼の間は起きている。

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「優しく言って!!希望が持てるように。」

と、なおみが母に聞こえぬよう小声で鋭く言うが、当時はとても希望の持てる状態ではなかった。ところがその日以来、母は急に前向きになった。朝食を作ってピアノの練習に来る。心が前向きになると体調も回復の兆しを見せた。

ボクは弟と会って相談した。母を東京に留め置けばボクらは安心できる。だが問題は昨今、東京の夏の暑さが凶悪化していることである。母はずっと夏を八ヶ岳で過ごして来た。もうクーラー全開の東京の夏に適応はできない。認知症の専門医の診断を待つことで二人の意見は一致した。

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認知症判定テストの当日,母は30点満点の25点でその日の受検者の最高点を叩き出した。判定は「認知症に非ず。」MRIの結果から、海馬には年齢相応の萎縮が見られた。進行を抑える薬が処方された。ファッションセンスの悪い名医の診察は鋭かった。

1. 体調を崩す理由のほとんどは薬を飲み忘れたことによる血圧の乱高下である。

2. 認知症ではないが認知症の症状が出るのは「がんばってないとき」である。テストではがんばり過ぎて高得点を取るが,薬はがんばらないから忘れる。

3. 意欲の減退,家事の放棄はお嫁さんの過保護に対する依頼心が原因である。ひとり暮らしは可能。

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彼女の診断は今の母の症状にぴたりと符合していた。彼女の見たのは「問診表」「おくすり手帳」そして当日の「検査結果」とMRIの画像だけである。それだけでこれほど正確な診断が下せるものだろうか。

名医のお墨付きである。母は6月中旬に原村復帰をを果たす。今はその準備を始めた。母のアピールはますます前向きになった。

「なおみちゃん,あたしがする。」

と洗い物に割り込んだりもする。問題の薬の時間だが,なおみが母のiPhoneのアラームにすべての薬の時間を設定した。目下,アラームを止めるとき,母が無意識に設定を解除してしまうことの対策が課題となっている。

それにしてもである。母が八ヶ岳で体調を崩したとき,大病院で数カ月間,検査漬けにして一人の医者も特定できなかった原因を,問診だけでずばり血圧と看破したのも,早稲田の眼科医も,このクリニックの名医も高齢の女医である。ここで冒頭の一文となる。

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