血圧の乱高下と認知症予防、それに右目の緑内障。母の病気は現在この3つだ。見方を変えると、91才でこの3つしか悪いところがないというのは素晴らしいとも言える。それぞれに処方された薬は効果や副作用を確認済みである。物忘れは多いが認知症が原因でないこともハッキリしている。
ボクは延期していた母の原村一人暮らしを決断した。リスクはもちろんあるが、東京で夏を過ごすことによるリスクはそれを凌駕する。クーラー漬けで乾燥した室内からヒートアイランド現象と排ガスと湿気の屋外に出ることはそれだけで命の危険がある。おそらく東京にいれば3ヶ月近く、誰にも会わずに日当たりのない室内に閉じこもることになろう。担当医たちの意見も同じであった。
4月に一度,母の引っ越しを試みて以来のしらべ荘はデイジーに埋まっていた。
庭には雑草と争うように母の植えていた花々が咲いていた。
いきなり,母がすべての薬を東京に忘れてきたことが発覚!!
富士見の病院に行って,数日分を処方してもらう。
のちに薬は荷物の中から発見された。先が思いやられる。
4月とはうって変わって母は元気でだった。車の技能テストも厳しく行ったがどうやらゴミ集積場と近くの直売所までは危険なく運転できそうである。
夕方には茅野のレストランからの運転手を志願した。ボクとなおみにお酒を飲ませてやろうとの配慮である。
このアピールによって,母が夏の間,原村で過ごすことは決まった。
月曜に住民票を移した。実に70年間の渋谷区民生活に終止符を打った。車も諏訪ナンバーになっている。こちらは昨今,品川ナンバーより使いやすい。
晴れて村民となったことで,支援や介護のサービスを受けられるようになった。ヘルパーさんや看護師の巡回などの手はずがあっと言う間に決まった。
課題はこれだけ。たった二種類の薬を一日1度飲むことである。iPhoneがアラームを鳴らし,薬を飲んだら,なおみに証拠写真をLINEするという作戦である。ところが,薬の他に,飲んでもLINEするのを忘れてしまう,LINEするのだったという約束そのものを失念してしまう。けっこう手ごわい症状である。なおみだけでは管理が難しい。なおみの方が胃を悪くしてお医者さんにかかっている始末である。介護の人たち,近所の人たちの力と知恵を借りていくしかない。