8日の深夜に移動した。母は春とは比較にならないほど回復している。知らないうちに宅配の食事を全部断っていた。自分で作れるようになると,病院食のような宅配食はまずくて食べられないらしい。薬の確認と近所の人への聞き取り,そして掃除と草刈りくらいが夏の仕事である。
今年の楽しみはリリとリョウコを招いて,暮れのコンサートのための練習合宿をしらべ荘で行うことだった。二人にはPCR検査を受けさせ,直前の抗原検査キットも渡しておいた。だが,母と10代の子の接触を心配する親戚の声に屈し,合宿は中止となった。
9日朝,藤沢からイリタマゴのリーダーが着いた。彼の場合は特別である。わけあってほとんど自宅に引きこもって外部との接触がない。毎日ギターの練習をする日々を過ごしている。
母も一眼を設置した三脚にスタンバイした。母にも役割があるところが肝心である。
イリタマゴ「旅に出ようよ」のPV動画作成。予め録音しておいた自分たちの音に合わせて演奏のふりをする。
このかなりバカバカしいイベントが底抜けに面白い。母も歓声を上げて楽しんでいた。母まで含めると平均年齢67.5才の遊びである。
勇ましく刈払機を構えているが,ボクががやったのは刈払機の整備とお風呂掃除くらいである。
ほとんどの時間を居間で絵を描いたり,チェロの練習をしたりして過ごした。
なおみは玄関や庭の主だった場所の草刈りをし,キッチンをまるでモデルハウスのように掃除して磨いた。バイオリンの練習も毎日欠かさない。
ボクはエアコンのない空気の中で少しずつ体調が戻り始めた。
合宿を知るあちらこちらから食材が届く。
少し東京に持って帰ってやろう。
母の食料品を二度スーパーに買いに行った。
薬はほぼ数が合っていた。パンさんの奥さんも安心して見守ってくれているご様子。
ムリをして一人暮らしをさせてよかった。冬に比べると体調には雲泥の差がある。そして何より,東京にいたらボクたちと一緒にコロナ罹患は避けられなかっただろう。命がなかったかもしれない。
11日の午後,東京に向かった。