母を迎えに原村に行った。ふだんの年に比べて1か月早い。コンサートの日程に合わせたものだが母の一人暮らしももう限界だった。
ヘルパーさんが来なければ食事もろくに摂っていない。
それなのに前日いきなりLINEが来て「リンゴが間に合わないから帰京の日程を延ばして」ほしいと言ってきた。
できるわけがない。リンゴと言うのは毎年母がリンゴ農家から買って,お歳暮にあちこち送っているものだ。
リンゴの配達を27日にしてもらって,共同で買っている浅野さんにも応援を頼んだ。
母はそれを全部「偶然」だと思っている。
昼前にしらべ荘につくと,先に着いた浅野さんがもう発送作業を始めていた。
リンゴとリンゴの間にクッションの新聞紙を詰めていく作業が母にはもうできない。
浅野さんもその異変に途中から気づいたようだ。この1年,母の衰えのスピードは信じられないほどだ。
ボクは紐やガムテープの買い出しやらクロネコでの発送などに従事したので,作業はほとんど浅野さんがひとりでやって夕方帰って行った。
快晴の一日だったがスマホの写真すら撮れないほど忙しかったが,日暮れにようやく落ち着いた。
14日に行けなかったところを中心に挨拶回りをして,村まで買い物に下りた。
ワールドカップのグループステージ,初戦でドイツを破った日本はこの日は攻勢に出て一方的に攻めながら,ワンチャンスをものにしたコスタリカに不覚を取った。
初戦も第二戦も「勝てる」と油断した方が負けた。
試合が終わって星撮りに出た。まだ11月なのでまるやち湖も凍っていない。
富士見の一本松
農場
翌朝,しらべ荘を閉める作業は母も驚くほど手伝った。それでも去年までとは違う。朝から昼前までかかった。
もしかしたらこの作業も最後になるかもしれない。
薬局で留めておいてもらった母の薬を受け取り東京に向かった。
家ではなおみがごちそうを作って待っていた。