4月2日 ババロア
母を連れて町田に義母を訪ねる。
庭は花盛りだった。
移住した後は再々と来られなくなるだろう。
義母が心づくしのお昼ご飯は大ごちそうだった。
ボクのためにババロアも用意されていた。
4月3日/花びらのロンド
さあ,ここはどこでしょうか。ご存じですか?
チャリダッシュ「トキワ荘」をNoteに公開しました。
4月5日/Schumann Träumerei
半年近く,毎日あんなに練習したのに,本番はこんなもの。現実は厳しいです。
Sound of Music
のびのびした曲調が練習していて気持ちが良かった。ピアノ伴奏してくれた先生のほんわかしたキャラクターもいい感じ。これも本番はやっぱり納得のいく出来ではなかったけれど演奏は楽しかった。
4月6日/春旅初日
名古屋で飲んだくれる
漂泊の思ひやまずとは芭蕉翁,チェロのレッスンを終えたボクたちは春旅に出る。
スペースに荷物を詰めるだけ詰めてしらべ荘に寄る。タローのお骨やチェロ,一部の電子機器などトラックでは運びにくい荷物を運ぶためだ。
庭のコヒガンザクラの蕾は固い。季節を1か月遡って来た。
中央道を南西に進むと再び季節が進んでゆく。諏訪湖周辺はむせ返るほどのソメイヨシノに埋まり高遠まで下ると花吹雪,飯田は葉桜となっていた。
恵那山トンネルを抜け東海自動車道を南下する。美濃を旅するのは明智旅以来だろうか。タローを喪って1年余り,まだ胸が苦しいほどに痛んでいた頃のことだった。ザラザラとした胸の痛みが蘇る。明智旅のあとコロナ禍に見舞われ,自転車を積んで旅するようになった。訪ねた場所のほとんどはタローを連れて行こうと計画していた場所ばかりである。チクリと痛みの残る胸で巡るボクたちの旅は鎮魂旅でもある。
予報通り雨模様となってきたがサイクリングは旅の後半に計画しているので問題はない。名古屋に入ると土砂降りになった。
教え子を除けば,現在,ボクたちの交友関係の90%はインターネットで知り合った人たちである。30年来の親友でもきっかけはwebサイトでの出会いであった。ボクはどうもインターネット上でのお付き合いとか繋がりにほとんど意味を感じていない。webサイトやSNSは目的ではなくあくまで手段と道具である。気が合う人と知り合うとすぐにオフで会いに行く。だから北は道東の美幌から南は九州まで全国に友だちがいる。さすがに海外となると会いにいくことはできないが,ボクの場合,絵やカレンダーを買ってもらったりすると,その後,手紙のやり取りくらいはできるのが楽しい。だが相手の方々はたいていそうは思っていない。オンラインの知人と会うのはとても危険なことだと思っているし,たいていの方は「シュウさんたち以外にオフで会った人はいません。」とおっしゃる。
名古屋の知人もそんな一人である。のんべえなのでご相伴仕るためにはどうしても泊めていただくことになる。漂泊の旅の趣旨から外れるがこれもまた一興。廊下にはボクの油彩画,玄関にはノイシュバンシュタイン城の写真が飾られている。奥さんの趣味は小物作りで,素人の域を超えている。部屋にあるものはみな手作りである。
もちろん,料理も得意でオリジナルのレシピが豊富である。タケノコ尽くしも美味かったが,この新作,粉を使わないお好み焼きが絶品。ビールにワインに日本酒。いやはや過ごした過ごした。
翌朝は「名古屋らしいモーニングを食べてみたい」とリクエストして,店に連れて行ってもらった。
ロボットがモーニングを運んできた。老舗の喫茶店をイメージしていたのだが,これもまた一興。
モーニングはしっかり名古屋風である。
年代も少々違う陽気なご夫婦。不思議なご縁である。
4月7日/春旅2日目 金欠乏症を治療する
名古屋から西へ木曽川,長良川を渡り,揖斐川と長良川に挟まれた細長い洲は岐阜県になる。日本地図のイメージでは岐阜県は愛知県の北側にでんと座って見えるが,実は名古屋城より南までこの洲が伸びている。その中央にある広いお邸が次の目的地である。
天然芝にボール…
室内はもうボクの絵のギャラリー状態である。
もう壁にスペースがなくなるほどボクの作品を買ってくださった。
そしてサブとかすみという名の2頭のゴールデンがボクたちを待っていた。最初の5分ほどは声も出ないほど2頭にもみくちゃにされた。
ああ,体にゴールデンが染みわたる。
ループがアメリカに行ってしまって,ボクたちは深刻なゴールデン欠乏症に陥っていた。今度の旅はその治療も大きな目的であった。
サブとかすみはしらべ荘にも遊びに来てくれた。もちろん,ボクたちを覚えている。
胸に顔を埋めて思い切り匂いを吸い込み,懐かしい後頭部の形を堪能するまで眺める。
甘噛み。指をさぐる歯の感触。
さて,事前に奥さまとの間で,
「お昼を召し上がっていってください。」
「それではお言葉に甘えて」
…というメールのやり取りは確かにあった。
そのお昼…ウナギが重なって,少しずらさないとごはんが写らない。人生最初で最後の経験となろう。
お腹もいっぱい,ゴールデンもいっぱい。
さようなら。また金欠したら伺わせてください。…この二人をしらべ荘で預かる企みが芽生えた。いつか実現するつもりだ。
4月8日/大垣散歩
4月9日/姉川古戦場と小谷城
4月10日/粟津古戦場紀行
4月11日/濃尾B級史跡探訪
4月13日/編集会議
編集部から初校というファイルが送られてきて,面談打ち合わせの日程が決まった。
初校…初?
…あ,これからなんですね(;^_^A
自転車はもうしらべ荘に置いて来たので,なおみに送ってもらって帰りはひとりで電車という大冒険。
編集長と担当者お二方が同席の会議,作者のしのざきさんはZOOMで参加されていた。
絵の修正箇所はたいした数ではなかったが,文は,毎回編集長の気分が変わるのでたいへんそうだった。
続いて「表1,表4,見返し1,2,見返し3,4,扉」の打ち合わせに入ります。
え?
つまり表紙,裏表紙,その裏側,中の扉の絵など。
なるほど,言われてみれば当たり前だが,まだ7枚も絵を描く必要があるのだ。
今度は家の引っ越しと締め切りがもろにかぶる(;^_^A
絵本をひとつ作るというのはたいへんなことである。
会議は11時から13時までまったく休みなく続いて終わった。
JR中央線で新宿まで来るとさすがに腹ペコになってしまったので,地下街を根性で歩きイマサのカレーを食べた。
物心ついた頃からの老舗。食べ治めかもしれない。
4月14日/三たび挑戦
師匠は何週間も前から皿を素焼きして準備してくれる。
前日には使いそうな絵具を全部お湯で緩めておいてくれた。
筆もパレットも台もセッティングし,バイオリン協奏曲のCDをかけて,広い工房を明け渡してくれる。
だからボクはどうしても結果を出したい。
これがこのままの色合いで焼きあがるとは限らない。そこが絵付けの難しいところで面白いところでもある。
作業が終わってから近くの量販店でプリンターを買ってきてセッティングした。
師匠のPCは家のネットワーク上にはなく,専用の回線を直結しているから,プリンターもUSBで接続する必要がある。
暮れに買ったデジカメはまだ画像をPCに取り込む作業ができないでいる。
プリンターやデジカメの使い方を丁寧に説明するがマウスのタッチが思い通りにできなくなっている。それが精神的にも辛そうだ。
ワードやエクセルのバージョンは10年以上前のもの,フォトショップは15年を超えているが新しいインターフェースに対応できないので変えられない。
師匠はとても不安そうだった。ボクが東京を去って,もっとも困るのはたぶん師匠だ。
師匠がブログを続ける限り,たぶんボクは定期的に東京に来なくてはならない。
帰り際,部屋のゴミ箱にゴルフのアイアンが1本差さっているのを見つけた。
「師匠,これ何するんですか。」
「泥棒が来たらこれで戦うんだよ。1階で食い止めて,家内のいるところには行かせない。」
今の師匠のデジタル的不自由はそのまま20年後のボクの姿である。ボクも今のうちにボクを見つけておかなければならない。