OUR DAYS 2023年2023/6/27-30

6月27日/秦野に寄る

東京からの帰り藤沢にバンドのリーダーを訪ねた。特に用があったわけではない。ついでである。リーダーは相変わらず飄々とリタイア生活を送っていた。この日,本当の目的地は秦野だった。

大昔のこと,間貸ししていた幡ヶ谷のアパートにIさんご夫妻が住んでいた。危ない事業だかに手を出して破産したとき,大家だった父と母が援助して事なきを得た。夫妻はそれを恩に着て以来50年以上,夏と暮れの贈答を欠かさなかった。母もまた返礼をしていた。父が亡くなったタイミングで母はその習慣の終了を申し出たが彼らの贈答は続いた。そればかりか母を気遣い家族旅行にも誘ってくれた。母は彼らの一人息子の遅い結婚を喜び,そのお祝いにかけつけた。その贈答がこの夏,初めて途絶えた。電話をするといつも一方的にまくしたてて会話にならないほど元気な奥さんの様子がヘンだった。ボクが電話を代わっても要領を得ない。おそらくはご主人が亡くなったと思われるが,これまでのいきさつから考えてその訃報が母に来ないのはおかしい。訪ねてみるしかないだろう。

母のお供で何度か行ったことことがあったが,ご自宅は急な宅地化によって渋滞の激しい秦野市内を挟んで東名の秦野中井インターからは反対側になり,地の利のないボクには苦手な場所だった。ところが茅ヶ崎中央インターから中央連絡道を東名に向かうと海老名の手前に大きなジャンクションが出来ていてどうやら第二東名が一部開通になっているようだった。ナビにはもちろんグーグルマップにもまだ表示されないその高速を行くと,伊勢原で東名を跨ぎ新秦野インターに達していた。いずれ御殿場辺りに接続されるのだろうか。もっともその頃にはボクもリーダーも現役ドライバーではないかもしれない。

ナビ画面を見ながら新秦野の手前にある秦野丹沢スマートインターを流出すると,いきなり*宅の近くに出た。果たして*さんは亡くなり,まだ居間の祭壇に遺影が飾られていた。そして奥さんは母のことがわからなくなっていた。困っているところに帰宅した一人息子も暫くボクたちが分からなかった。葬儀や相続の手続きで忙しすぎたからと言い訳しながら薄ら笑いを浮かべた。常軌ではないのかもしれない。祭壇に香典を置くと,大きなサクランボの箱を手渡された。それは毎年,夫妻が母を始め知人に送っていた夏の品だった。どうやら今年もその準備をされていたと思われるがすでにサクランボは腐っていた。

半世紀を超える親戚のような付き合いが突然終了した。母の周辺ではもはや珍しいことではない。ボチボチボクの回りでも始まるのかもしれない。そう言えばリーダーのお子さんたちとボクは面識がない。もしかしたら彼の訃報はボクには届かないかもしれない。ボクが先だった場合もなおみが常軌を維持しているという保証はない。

大井松田インターには向かわず,246を小山まで行ってみた。7,8年も前の正月に同じ道を逆に走った。早朝,ニューヨークのめぐみ伯母を山中湖に案内した帰り,伯母が御殿場に住む知人を訪ねたいと言い出した。御殿場は通り道だったが正月2日のことである。時を過ごすうちに東名はインターに近づけないほどの渋滞となった。ボクらは高速をあきらめて厚木まで246を走ったのだった。ボクたち二人に伯母とウイノーナと義母,そしてタローも一緒だった。小さなブレイドにどうやって乗っていたのだろうと思うと可笑しくなった。

富士吉田で夕飯に吉田うどんを食べて,さらに甲府南までローカルを走って帰った。

6月28日/諏訪に帰った

諏訪に帰りました。東京売り場へお越しくださった皆様,ありがとうございました。おかげさまで予定数完売しました。

午前中,配送分をお送りするために村の郵便局まで下るところ。

「シュウー!ちょっと来て!タイヘンなの。」

なおみがこう言うとき,10のうち9はタイヘンではない。

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夏花の庭をついて行ってみると…

留守にしていたドレミ菜園にキュウリが3本,ピーマンが二つ!茄子にも小さな実。

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レタスはジャングルになっている。

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こりゃ確かにタイヘンだ。

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山田さんが訪ねてくる。母はスウェーデン人だと言うがフィンランドらしい。

夏の庭レポ1

キャットミント

ノコギリソウシモツケソウ

ホシミスジ

強い夕立あり。

6月30日/ベトナム珈琲をごちそうになる

伊那にあるスーパーの書店が絵本を発注してくれている。編集部から挨拶に行くよう指示されている最寄り店舗のひとつだ。しらべ荘から50km,しかも間に南アルプスを挟んでいる。最寄りと言うにはビミョウである。伊那を少し南下した駒ケ根にSaiさんというTwitterの友だちがいて「ペットボトルのイルカ」を買ってくださるというDMが来た。それならばとNBをオープンにして出かけることにした。

なおみが諏訪響の練習日である。ミズイロライフと2台で諏訪まで行き,ライフを練習場に置いてNBで有賀峠を越えた。

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ベルシャインは地元スーパーのチェーン店だった。交通の便がよくなるにつれて,大手の進出によってできてきた大型スーパーやショッピングモールに押され気味の雰囲気だった。市内の本店が4月に閉店していた。

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約束の時間まで少しあったので,なおみはワンピースを二つ買い,イートインでお昼も食べた。発注のお礼に少しでも売り上げに協力しようというわけである。

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だがこの書店はひどかった。約束の時間ちょうどに訪ねると,アポイントを取ってあった担当者は昼休みで不在だった。15分も遅れて帰って来た担当者は初老の女性だった。呼びつけられて売り場に行くと,

「お客さんを先にしてください。」

と言われた。周りを見渡しても客はいない。どうやらなおみを客と勘違いしたらしい。遅れたことに対しても勘違いしたことにも謝罪はない。ああ,そうですかと仏頂面でポップを受け取った。1時間半かけて,手描きポップを持参した作者に対する対応はこれでいいのだろうか。否,これがただの出版社の営業だとしてもイマドキの都会ならば,これほどのハラスメントで応対はしない。旧態依然とした地方の企業が淘汰されていく理由が分かったような気がする。

すっかり伊那に対する心象を悪くした。気を取り直して今度はSai氏のご自宅へ向かう。ツイートは定点から撮った木曾駒や宝剣岳の写真が9割で,あきらかにボクと同じリタイヤ組だが乗っているのはメルセデスAMGV8コンプレッサー。ここ数年でカワサキZ1やランエボを売却している。…ボクの苦手なタイプかもしれないと,少々気が重かった。

ところがどっこいどっこいしょ。ナビの到着点には想像していた豪邸ではなく,増築だらけの古家が建っていて,庭には無造作にメルセデスが置かれていた。NBの排気音に気づいて塀の蔭から「やあっ」と徳大寺有恒風のおじさんが現れた。その風貌とは正反対の人懐っこい笑みを満面に浮かべてのしのしと歩く。なおみをエスコートして庭を横切りながら,自慢したのは車ではなくメダカだった。ざっと30個ほどの水槽に種類や大きさごとに無数のメダカが飼われていた。

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 母屋と離れた小屋に通されて,なおみが感嘆の声を上げた。'60年代アメリカンなテイストの室内はほぼハンドメイド。そのオシャレさがなおみの趣味に合った。

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ボクとは同年代である。 車やバイクの趣味はぴったりと合った。ただ,ボクにはあくまであこがれで雲の上にあったマシーンを彼は全て手に入れていた。あまりの居心地よさに,時間があればと予定していた飯田の書店挨拶は取りやめることにした。準備していたもう一枚の手描きポップは請われてSaiさんに差し上げた。

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 なおみがコーヒーのお代わりを要求した。どこでも長居を好まない彼女にしては珍しいことである。Saiさんが淹れてくれたのはベトナムコーヒー。コンデンスミルクを底に敷いたグラスにゆっくりと深煎りの濃いコーヒーを落としていく。いつの間にかお邪魔してから3時間が経っていた。お暇乞いに再会を約した。

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残念ながら宝剣岳や駒ケ岳は雲の中だったが,諏訪までのドライブは風が心地よかった。なおみは爆音のオープンカーのバケットシートにもかかわらず峠までの大半をオチていた。

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