春日山城

戦国最強上杉謙信の居城


構造:山城(連郭式)
公式HP: 上越市文化行政課「春日山だより」
年代:1507(長尾為景による改修)~1607年  
主な城主: 長尾為景,晴景,長尾景虎(謙信),上杉景勝
所在地: 新潟県上越市中屋敷
訪問日:2012年6月
駐車場情報:春日山神社石段下に大きな無料駐車場あり。

遺構満足度:★★★ ロマンどきどき度:★★★★★  犬連れ快適度:★★★★★

ある初夏のこと。仕事がたてこみ精神的にいっぱいになったのを感じたボクは突発的に上信越道を北に向かいました。こんなとき普通なら温泉に行ってのんびりリフレッシュするところ,レトばか夫婦はちょっと違います。(出かける様子→2012年日記「日本海」

前から行きたかった春日山城に行こう!!

整備が行き届いているのに好事家以外ほとんど来る人はいない山…犬連れ天国です。それも早朝,気温が上がる前。尻尾をぶんぶんと振りながら大喜びで歩く愛犬を見ていると,ああ,安らぐ…仕事の疲れも消えてゆきます(笑)
EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


そんなわけでやってきました。越後の虎上杉謙信公の居城春日山です。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


駐車場からいきなり難所!!
EOS 5D Mark II + EF17-40mm f/4 L USM


春日山神社

春日山神社は1901(明治34)年,米沢上杉神社より謙信命を分霊して創建されたもので,春日山の名の由来となった春日神社とは違います。かつて山頂にあった春日神社は築城の際に麓にある現在の場所に移築されました。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


人魚の母子像

春日山神社の創祀を発起したのが童話作家小川未明の父(元元高田藩士)です。その縁で地元上越の海岸が舞台になっている未明の代表作「赤い蝋燭と人魚」の像が境内に建立されました。市内にいくつもある人魚像の中では最も古いようです。
EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


上杉謙信銅像

コンクリート製ながらたいへん美しい人魚像に比べると謙信公の銅像は些か芸術性に欠けるています。でも大きく雄々しく山の中腹から町を見下ろしています。

彼の率いた越後上杉軍が戦国最強だったことには誰も異存がないと思います。そしてその知力,軍事力を本当に「義」のために捧げていたフシがあることも認めざるを得ません。相対して戦う大名にとってはなんとも大迷惑の正義の味方だったことでしょう。
EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


露に濡れた草を踏み分け本丸への登山を開始しました。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


爽やかな夏の朝です。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


上越の街は遥か遠くにかすみ謙信公の像も眼下に小さくなりました。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


春日山は謙信の死後一気にに弱体してゆく上杉家にあって,「義」の志を受け継いだ上杉景勝・直江兼続主従の長い長い闘いが始まった地でもあります。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


直江兼続住居跡

城の正面玄関のような場所です。まるで宰相としての彼の立場を象徴するようです。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


毘沙門堂(復元)

大河ドラマ「天地人」では巨大洞窟のような場所として描かれていましたが実際は小じんまりしたお堂です。謙信は自らを毘沙門天の化身だと信じていました。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


本丸下には他にも家臣たちの住居跡を示す石標が夏草に覆われあちらこちらに点在していました。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


本丸跡

大休憩。一本の水のボトルを三人(2+1)で分け合います。背後に上越の町から直江津港,そして遠く越後山脈までが一望です。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


白のツリガネニンジンでしょうか。城山は美しい花の季節です。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


大井戸跡

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


上杉景勝の屋敷は本丸を越えた東側の三の丸にありました。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


いずれ兵どもが夢の跡。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


1578(天正6)年,謙信は病に倒れ後継者問題が解決しないまま3月に死去します。景勝軍の動きは早く,その2日後に本丸を占拠し二の丸下の上杉三郎景虎を攻めました。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


景虎は北条氏康の七男,妻は謙信の姪で景勝の実妹清円院(実名不明)です。眉目秀麗文武に秀で,謙信の信頼も厚く家中でも後継者と暗黙に認められていたと言われます。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


6月の景虎屋敷跡は一面の紫陽花に埋め尽くされていました。

二の丸を攻められた景虎は清円院を伴って城を脱出し,自らを支持する前関東管領・上杉憲政の居城(御館)に立てこもりました。そして兵を集め逆に春日山城を包囲したのです。後北条軍ばかりか甲相駿越の大同盟を後ろ盾に持つ景虎は圧倒的有利な状況になりました。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


その状況を見事にひっくり返したのが景勝の家臣直江兼続です。誰もが謙信の喪に服す中,電光石火に本丸を抑えることで上杉家の財源を手中にし,その資金を越後の国衆や甲斐との外交工作に使いました。最終的には武田勝頼を味方に引き入れて勝利を確定します。兼続は当時弱冠18才ですからこれはもう驚異的な戦略眼と実行力と言えます。景勝が重臣たちや景虎に遠慮し煮え切らなかったのを励まし励ましついに上杉家の後継者に押し上げました。ここに主従の信頼関係が垣間見られます。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


三国峠の積雪もあって景虎は北条の援軍が得られずに敗れます。世に言う御館の乱です。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


主君景勝の誠意と実直さを知っていた兼続には,謙信の志を継げるのは主を置いて他にはいないという信念があったのでしょう。兼続もそして景勝も戦国の世に義を爽やかに謳い続けた謙信に心酔していたのです。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


ネコでしょうかキツネでしょうか。春日山神社の境内には人魚の他にも変わったものがたくさんあります。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


ナビを駆使して上越市内に御館跡を訪ねました。町中にぽっかりと敷地だけが空いて残っていました。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM


北条氏政を頼って小田原に逃げようとした景虎は兼続らによる調略で景勝方についた鮫ケ尾城主・堀江宗親の謀反にあって,乱の勃発からわずか1ヶ月弱の3月24日,鮫ケ尾城内で自害しました。清円院は景勝主従による必死の助命申し入れを断り潔く夫と運命を共にしました。景虎享年26才,清円院推定23才。

EOS 5D Mark II + EF70-200mm f/2.8 L USM
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