与板城
直江兼続居城
構造:山城
公式HP:
長岡市観光「与板城跡」
年代:1580年頃~1598年
主な城主: 直江景綱,直江兼続
所在地: 新潟県長岡市与板町与板乙
訪問日:2016年1月
駐車場情報:少々離れたところに専用無料駐車場あり。
遺構満足度:★★★ ロマンどきどき度:★★★★ 犬連れ快適度:★★★★★
国境の長いトンネルを抜けると…
今も昔もそこは雪国です。
「雪が積もったただの道路脇」…で犬を遊ばせるために,毎冬はるばる東京から越後までやってきます。
ばかじゃないの?
…そうなんです。専門用語(笑)でレトばかと言います。 雪の峠で遊んでいると,眼下に南魚沼の盆地が見渡せます。上杉景勝,直江兼続主従の故郷上田の庄です。→06/坂戸城
峠を越えて十日町のへぎそばを食べてみました。伝統の魚出汁つゆに芥子で食べる元祖の味ですが…。すみません!!正直,ボクたちには,なんちゃって東京風にアレンジされた石打のへぎそばの方が口に合います<(_ _)>
遅いお昼を食べてから長岡に向かうと,1月のこととて,与板城跡に着いた頃はもう夕方。
城山神社
城山への登り口に大きな鳥居があるのは,頂上の城跡に建つ城山稲荷神社の参道だからだと思われますが,脇の建物はどうも寺院のようです。雪が深くて確かめられませんでした。
麓は美しい竹林の中…。
やがて杉の森に入って,なおも暫く登ると,曲輪跡らしき平坦地がありました。そこに真新しい木の看板を見つけ,小さな小道に寄り道してみます。
おせん清水
直江兼続正室お船の方が水を汲んだと言われる井戸の跡です。
冬空に雲が低く垂れこめています。早く登らないと真っ暗になってしまいそうなのですが,腰の具合が悪いところに大きな長靴を履いているため,なかなか思うように進めず,一行から遅れてしまいました。
上からタローが心配そうに見ています。タローの立っている場所はもう二の曲輪でしょうか。
大丈夫,すぐ行くよ。
ようやく本曲輪が見えてきました。
山頂です。
御館の乱から3年後の1581(天正9)年,与板城主だった直江信綱が春日山城で凶刃に斃れました。信綱は長尾家の出身で,与板城を移築した直江景綱の娘お船の婿養子として直江家を継ぎ,上杉謙信の下で奉行職,馬廻り役。その後,御館の乱でも目覚ましい武功を挙げ,景勝政権においても重用されていました。
重臣信綱を失った景勝は,兼続に未亡人お船を娶せ直江家を継がせます。お船にとっては二人目の婿養子ということになります。それには名門の家系を守り,与板衆をまとめるという目的がありましたが,あえて腹心の兼続を選んだのは,お船の才を惜しんだためだとも言われます。
実城跡に建つ城山稲荷
その美貌と才能で越後の花と謳われた船と3才年下の婿養子兼続はまこと睦まじい夫婦となりました。兼続は生涯側室を持たず,また船は兼続の死後,その役目を終えたとして養子を迎えることなく二人の代で直江家を断絶せしめました。
海音寺潮五郎揮毫 本丸跡碑
兼続の責務はいよいよ重くなり,ことに同僚狩野秀治が病没の後は,外交,内政,経済などあらゆる面で上杉家の政務のトップを担うようになったので,春日山城の屋敷に詰めることが多くなりました。さらに,関白秀吉からも信頼を受け,豊臣政権下でも重用されるようになります。一方,船も甲越同盟によって武田家から景勝のもとに輿入れした菊姫の相談役として上杉家の京都屋敷に出仕するなど多忙な日々を送ります。
ですから若き兼続と船がこの与板城でともに過ごした期間はとても短かったと思われます。しかしそれは兼続にとっても船にとっても,とても特別で幸せな日々だったのでしょう。何だか雪に埋もれていても,与板には兼続の気配がとても濃いような気がするのです。
上杉家の内政事情からの,言わば政略婚姻だったにも係わらず,二人が互いを尊敬しあい,深く愛し合って暮らした地だからでしょう。
所望事信一字(望むところのこと信の一字)兼続の自筆書状より刻んだ漢詩碑
本丸から越後山脈が一望できます。山の向こう側は会津になります。1598年,秀吉は上杉景勝に会津への国替えを命じます。直江家も米沢に移封となり,それに伴って与板城は廃城となりました。
空はまだ明るいのですが,足元が急に暗くなってきました。そろそろ戦国浪漫に心を遊ばせるのはおしまいにして下山を急がなければなりません。
とうとうみぞれも降りだしました。
竹林の隙間から見下ろすと,与板の町に雪が静かに積もっていくのが見えます。
真っ暗になった登山口の広場で,タローとドレミが何度も何度も雪投げジャンプ遊びをしながらボクが下りて来るのを待っていました。
重い雪が塊になって飾り毛にまとわりつき,一房一房,雪塊を手で割ってしごかないと取れません。
テクテクテクテク二人と一匹,静かに暮れなずむ越後の町を歩きます。…与板城跡の駐車場,遠すぎます(笑)
この与板紀行にもまた例によってオチがあります。
近くの道の駅付属の温泉に寄って温まると,レストランにこんな分かりやすい便乗メニューがありまして…。話のタネに注文したところが,数量限定のため直前に売り切れ。(写真は店のHPから借用)
「せめて蕎麦だけでも」と,食い下がったのですが,肝心の六文銭(ちくわ)が切れてしまったとのこと。
ええい残念とばかり,地酒の利き酒セットをびしばし注文。
翌日も休みだったのをいいことに,飲んだくれた挙句,犬を抱いて車の中で寝てしまいました。
…その未明のことです。
関東地方を大雪が襲い,首都圏の交通は麻痺して高速道路は軒並み通行止め。唯一通っていた上信越道で,吹雪の碓氷峠越えをし,上里サービスエリアにて関越の通行止め解除を待つこと6時間。渋滞の中を夜遅く帰京しました。ちゃんちゃん。