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伝・肉豆腐

人形町に「肉どうふ」と墨書された大提灯をかざしている居酒屋がある。冬はもとより夏の夜さえ食欲をそそられる。犬を乗せて車を運転している身では,ちょいと立ち寄るというわけにもいかずまだ未体験である。実は肉どうふなるもの,実際には食べたことはもちろん,見たこともなかったのだ。想像の中なので尚いっそう美味しそうに思える。

ある休日,ドレミが豆腐を買ってきたが,冷や奴には季節外れ,かと言って湯豆腐やチゲは今しばらく我慢して秋の深まりを待ちたい。唐突に肉どうふを作ってみようと思った。

見たこともないものを語感のイメージだけで創り出す試みに興味を覚えるボクは天才クッカーである。クッカーとは造語で,なぜコックではないのかと言えば,味音痴の妻以外には食べる人間がいないからだ。天才と断定するにはいささか客観的評価に欠けている。

肉じゃがは確か舞鶴の料理人がビーフシチューを日本の調味料で再現しようとして生まれたとか。さしずめ肉どうふは麻婆豆腐の和風バージョンだろうか。そうと決まれば,きっぱり酒,醤油,みりんで味付けだ。肉は豚バラを包丁で少し細かくした。肉どうふと言うからには,肉にもそれなりの存在感が欲しい。

肉と玉ねぎを生姜と炒める。甘辛く味付けし,水を加えて煮立てたところに手で崩しながら入れた豆腐は 温めるだけにした。器に盛ると,日本酒にぴったり見た目も美味しく仕上がったがすき焼きの仕舞い頃の鍋底に見えなくもない。

本当の肉どうふがいかなるものか検索してみれば,当たらずとも遠からずだった。以来,人形町を通っても唾のわくことはなくなった。想像の内に留めておくべきだったかもしれない。


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