第2章/出会い

Jan, 2008

#3/学生運動

特講から数週間たったある日の昼休み,音楽科の女学生が美術棟にボクを訪ねてきた。素描の授業を終えて教室から出てきたボクに,廊下で待っていた彼女は

「shuくんですか?」

と聞いてきたのだ。

「は,はあ」

名前を呼ばれてもボクはその学生に見覚えがなかった。良く言えば個性的,ストレートに言えばむさ苦しい格好の男女が行き交う美術棟でいかにも音楽科らしいふんわりしたワンピース姿の彼女と話していると目立ち過ぎる。ボクは彼女を学食へ誘いその道すがら用件を尋ねた。

「A類音楽科の有志で春の特講にいらした進子先生の教室を見学させて頂くことになったんです。」

ボクは目を丸くして彼女を見直した。決定的な欠陥を抱える現行の音楽教育で育ち,それを勝ち抜いた音楽科の学生にもあの教授法の価値を理解した人がいたとは正直なところ驚きだった。

ボクは学食では大食堂のCランチかフライランチBが定番だったが,音楽科の女の子と一緒なので多少おしゃれと言えなくもない第二生協に久しぶりに入った。何しろこの頃のボクは音楽している女の子はクロワッサンと紅茶しか食べないと思っていたのだ。

「それで,進子先生の連絡先を聞いて電話したら…」

いいわよ。いらっしゃい。そのとき赤いクルクルパーマの面白い男の子も連れてきてちょうだい。…女学生が口真似したわけではないがボクにはありありと子鬼の笑顔が浮かんだ。「クルクルパーマの面白い男」が誰だかわからない彼女は受講者の名簿を学生課で見せてもらってとうとうボクを探し当てたと言う。

「昨日も美術棟に行ったんですがお休みだと言われました。」

病気だったのではない。臨時教育審議会中間答申の内容を知らせるビラを徹夜で作り,朝,校門でそれを仲間とまいていたのだ。作ったと言っても文章は自治会の幹部が考えて原稿を書く。ボクたち下っ端はイラストを入れたり印刷したり立て看板を作ったりするだけだ。力尽きて自治会室の長いすで寝て起きたら夕方だった。

当時の文部大臣M氏は個性化,国際化などの抽象的な言葉を並べた教育改革で悪名高い「ゆとり教育」の先鞭をつけた。その後総理大臣を経て,今また徳育や愛国心教育を現場に強制しようとしている。全くもって教育にとっては不倶戴天の敵だ。ボクは昔も今も政治に強い関心を持ってはいないが,この頃はこの教育行政との戦いに背を向けたまま教員になることはできないと考えて学生運動に参加していた。

しかしボクたちが徹夜で作ったビラは受け取った学生たちの手にによって一瞥もされないまま校門から30mほど離れたところにあるゴミ箱に移動するだけだった。ビラの内容は糾弾や行動提起ではない。単に「答申の内容を読んでください。教育の危機ではないでしょうか。」という中身だ。ゴミ箱いっぱいに丸められたビラを焼却場に運ぶボクたち下っ端の心はボロボロだった。これを丸めた人間たちと同じ職場で働くのはいやだと思いつめていた。若さゆえの人間不信といっていい。目の前でフルーツサンドを食べながら屈託なく笑う女学生も,昨日の朝は仲間の誰かからビラを受け取っていたに違いない。あるいはせめてその場で捨てることはせず音楽棟のゴミ箱に入れたかもしれないが…。

#4/天使の歌声

土曜日の午後,ボクはA類音楽科の有志…と言っても彼女ともう一人だけだが…を車に乗せてM市に向かった。わざわざボクを探してくれた彼女にも進子先生にも断る理由がなかったからだが完全に専門外の音楽教室を見学に行くのは少し気が重かった。ところが,自宅を改造した進子先生の教室に入るなり強い衝撃を受けて杞憂はすっとんだ。

幼児たちは心から楽しそうに母親やスタッフのお姉さんとわらべうた遊びに夢中になっている。進子先生は見えない糸を操るかのように全体を掌握し,まるでその指導自体がひとつの音楽のようだった。もしボクに少しでも音楽の素養があったなら,この場で教室に入会して,スタッフへの道を歩んだかも知れない。ボクは音楽と縁がなかったことを悔やんだ。「男子,歌舞音曲を禁ず」の亡き祖母を恨みながら,続いて大きい子たちのクラスを見学した。子どもたちの音楽性と拍感の正しさはどうだろう。その賢さと積極性と礼儀正しさはどうだろう。進子先生は優しさと厳しさを自在に見せ,子どもたちの尊敬と畏怖と親近感を一身に集めている。市井にこんな恐るべき教師がいるとは驚いた。

夕方になって,合唱団の子たちが集まってきたのを潮に音楽科の二人を駅に送っていった。ボクだけはなぜかスーパーで豚肉とほうれん草を買ってくるように頼まれていた。一回見学して満足したらしい彼女たちにはそれっきり会うこともなかった。今となっては名前も顔も思い出すことができないがボクに会いにきてくれた子には心から感謝している。彼女が見学を思い立ち学科も違うボクを広い大学の中で探してくれなかったらボクは一生進子先生の教室に行くことはなかっただろう。

豚肉とほうれん草の袋を提げて戻ると,合唱団の練習を終えた教室のテーブルにカセットコンロと箸や皿が並んでいた。2階の部屋でバイオリンと弦楽団を指導しているご主人も仕事を終えて座っていた。

「食べていくでしょ?」

と子鬼がウインクする。なぜ専門の音楽科の子たちを返して,ボクが残されたのか分からないまま,とりあえず子鬼から包丁を奪い取って生姜の皮むきを代わり準備を手伝った。鍋はにんにくと生姜を泳がせた湯に薄切りの豚肉とほうれん草をくぐらせて七味をふった醤油にとって食べるシンプルなものだがやたらに美味しかった。ご主人も進子先生もボクの食べっぷりに目を細める。ボクは堰を切ったように,芸術教育のことや特別講義のこと,臨教審の答申のことなどを話し続けた。ご主人はそれもにこにこ笑って聞いているだけだったが,進子先生はすべてにいちいち反論したり,同意したり,まぜっかえしたりした。それもどうも観点が違うようでかみ合わない。やがて子鬼が唐突に

「そうだ。今度の演奏会で,カメラ係やってくれない?」

と言った。

「やらせてください。」

ボクは即答した。とにかくこの教室に来る用さえあればいい。行き詰っていたボクにとってすがりつく箱舟に思えた。活動でイベント慣れしているボクとしてはカメラ係はいささか役不足だがこの際ぜいたくは言えない。

演奏会は小規模なもので,ご主人の教え子が芸大を卒業して独立するのを記念するコンサートだったがボクにとっても忘れられない日になった。ボクの仕事は客演する合唱団の記録写真を撮ることだった。

「あなたの撮りたいように撮りなさい。美術科のウデを見せなさいよ。団員の親御さんにも記念写真を欲しがる人がいるからたくさんね。」

子鬼の話術は人を蕩かす。ボクは目に物見せてやらんと奮い立った。

合唱団のレベルの異常な高さはもう何度か教室を訪ね事務室から練習の声を聴いていて知っていたがいざ演奏が始まると圧倒された。いくら素人のボクでもハーモニーの清潔さや拍の正確さが尋常でないことがわかる。思わず仕事を忘れそうになったが,演奏中の撮影は腕章をつけたボクしかできない。あわてて絞りを確かめ望遠レンズを舞台に向けた。

音が響かないよう曲がフォルテになるところでシャッターを切る。これまで隣室からもれてくる声を聞くだけでパートリーダーら数人以外の団員を見るのは初めてだった。演目がコダーイの荘厳な曲になっていた。彼女たちはハンガリーやドイツの曲を原語で歌う。静かな導入から一気に全パートが強く響きあう。ファインダーにメゾソプラノの後列で一心に進子先生を見つめて歌う少女の姿が入ってきた。表情が少なく暗い翳のある印象は舞台照明のせいだったろうか。

16歳のドレミとの出会いだった。

ボクは本当に記憶がないのだが大学で友人に

「天使に会った。」

と,話したらしい。たちまち仲間たちの間に広まって,翌日には「shuが天使のような高校生に一目ぼれした」という話になっていた。後に友人からこの話を聞いたドレミは,図に乗っていまだにときどき

「私は天使なんでしょ。」

とボクをからかう。

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