第4章/慕情

Jan, 2008

◆#7/ブダペスト◆

「ねぇねぇ富士山が見えるよー。」
「あー,ドレミったらshuさんに会いたいんでしょー」

親友のチョコが窓辺で外を見ていたドレミをからかった。冬晴れの日にはドレミの通う付属高校の教室から富士山が遠望できる。

「そんなんじゃないったら。ただ勉強をみてもらってるだけよ。」

そんなんじゃないただのボクはそのとき遠くハンガリーにいた。

ドレミの共通一次対策は通信添削が中心だった。教え始めた当初こそ,付属高でのんびりしていただけあって学力は惨憺たるものだったが数ヶ月のうちに驚異的に力をつけた。何しろ恐ろしく素直で集中力があり,課題に対して毎回封筒がはちきれそうなほどのレポート用紙が届く。むろん家庭教師以来,現在まで無数の教え子の中でもピカイチの真面目さだ。

一般的に教え子を恋愛対象にすることはモラル違反だが,ボクの場合教え子になる以前に恋愛感情があったのだから仕方ないと,教師としての良心を無理やりねじ伏せた。進子先生もそうとは知らず,狼の巣に羊を放り込んだようなものである。ボクは添削した返信に添える手紙で着実に点数を稼ぎ,二人の仲は急速に進展していった。

そんなある日,進子先生が突然ボクに

「shuちゃん,ハンガリーに行くわよ。」

と言った。先生はミュンヘンやブダペストに所用があって渡欧する。そのお供にボクを指名したのだ。教室事務への貢献に対する恩賞だったのか,将来教室のスタッフとして育てる目的だったのか,それとも単に少し生意気な若者に世界を見せてやろうという気まぐれだったのか,今となっては知る由もない。ともかくボクは取り急ぎバイト代で足りない分は両親にせびって飛行機代と旅費のほんの一部を準備した。

ボクにも一つ重要な任務があった。先生の友人でブダペストのホテル料理長ヨーゼフさんが新しい日本車を欲しがっていた。当時のハンガリーでマイカーとして買える車はごく限られていたのだ。ソ連(ロシア)製のラーダは恐ろしく古いシトロエンのライセンス生産車で真四角のセダン,東ドイツ製シュコダはサスペンションがトラックよりも固い板ばねだった。日本車やドイツ車を手に入れる唯一の合法的方法は西側に住んでいる親戚から中古車として譲ってもらうことだ。そこで関税の安いオランダで進子先生が立て替えて日本車を購入し,オーストリア人の親戚に渡す計画を立てた。ボクの仕事はオランダにあるスキポール空港のタックスフリーで,ヨーゼフさん好みの日本車を探し値段やオプションの交渉をする。そして,日本から運んだラジカセを取り付け,雪のアウトバーンをブダペストまで輸送することだった。

ボクはマニュアル5速で3ドアハッチのカローラFXを選び,欧州旅行者用のナンバーを申請した。手続きを待つ間アムステルダムに滞在し,ミュンヘン,ウィーン,ショプロンと知人の家に泊まりながらブダペストに入った。その間,ボクと進子先生はまるで恋人同士のように気ままな旅を楽しんだ。

◆#8/誕生日◆

進子先生がボクを残して帰国したあとも日本で案内したハンガリー人やその縁者,先生の知人などがボクを歓迎してくれた。ヨーゼフさんがボクのために空けてくれた広い家はブダの高級住宅街にあり,カローラFXは帰国までボクの足として使うことができた。当時の町には原色のラーダとシュコダしか走っていないので,メタリックブルーのカローラは,東京でカウンタックに乗っているほどのインパクトがある。ボクは知り合いに招かれるままにカローラを走らせて,主に民族楽器の演奏家と一緒に小中学校を訪ねた。音楽や美術の授業を見学し,請われて折り紙や日本美術の授業もした。言葉はボクの英語を演奏家が訳したが,初めて鶴やあやめを折った子どもたちはとても感動していた。どこの学校でもボクはまるでロックスターのように子どもたちに囲まれる。彼らはほとんど東洋人を見ることすら初めてだったからだ。

「あなた,字が上手でしょ。筆と墨汁持って行きなさい。」

進子先生にそう言われ半信半疑で持っていった母の毛筆こそ大活躍だった。子どもたちのサイン攻めに遇うたびに,ボクは毛筆をふるって「愛」とか「日々是好日」などと墨痕鮮やかに書く。師範の母などが見たら,卒倒するほど怪しげなボクの運筆も子どもたちにはまるで魔術だ。とっておきの色紙に書いた字はお手本に折った鶴とともに,校長室のガラスケースに収められたりした。

ドレミが富士山を眺めていたのはたぶんその頃だろう。

出発前のある日,ボクは留守中代わりに数学の添削を頼んだ後輩を紹介するという名目で彼女を初めてドライブに誘った。西伊豆の大瀬崎まで走って駿河湾に浮かぶように見える富士山を並んで見た。もちろん後輩には引き立て役に徹するよう指示してある。富士が夕日に染まり,海渡りの風に震えたドレミの肩にボクは自分のマフラーをふわりとかけた。

決まった。

後方でやはり震えている後輩が大きなくしゃみをした。

「大瀬崎ドライブ,マフラーかけ作戦」に手応えを感じたボクは,一気に勝負をつけようと出発直前にファミレスで交際を申し込んだ。ドレミによればそのとき未来のことばかり語ったそうだがボクは覚えていない。たぶん相当緊張していたのに違いない。

「よろしくお願いします。」

ドレミとしては付き合うことに依存はなかったが未来を約束したつもりはなかった。無理もない。16才である。

そしてボクの渡欧中に17才の誕生日を迎えた。その誕生日のためにボクは後輩たちを総動員してサプライズを準備していた。まずブダペストからのバースデーカードは,予め後輩のアパートに送りぴったりと誕生日に届くように転送させた。

当日の夕方には自宅に別動隊の後輩たちが花束を届ける。今でも語り草になっているその花束は抱えきれないほどのカスミソウの中に真紅の薔薇が一輪(笑)。

またまた華麗に決まった。

…に,ちがいない。その日ボクはドナウ川のほとりで一人ごちた。それから屋台の花を買ってペストにある安い居酒屋でワインを飲んだ。むろん東京ではドレミがどん引きし,大きな花束を抱えて町を歩かされた後輩たちからはブーイングの嵐だったことは知らない。

ブダペストに遅い春が来た。ボクはカローラをオーストリアに輸送してバスで戻るという最後の仕事を無事果たして帰国した。アエロフロートをワルシャワ,モスクワと乗り継ぎながら「誕生日作戦」がドレミの心を完全に射抜いているだろうと信じていたボクは期待に胸を弾ませていた。

ところがドレミの身辺はそれどころではない大変なことになっていた。母親がドレミたち三人を連れて,M市の実家に戻り,両親は正式に離婚の裁判に入っていたのだ。

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