そろそろ時間がおしてきた。和紙の里や一日市場館で少々時間を取り過ぎた。高速を利用して土岐に移動する。
月さびよ
明智が妻の咄せむ
芭蕉
光秀が朝倉義景の家臣時代に連歌会担当を命じられた際,妻煕子は自分の黒髪を売ってその費用に充てたという。
煕子は当時の妻木城主勘解由左衛門範煕の長女としてこの城に生まれたと伝えられる。細川ガラシャの母である。美貌は想像に難くない。
困っているところを通りがかったご老人が裏から山頂下まで車で登れると教えてくれた。
「台風であちこち崩れてるから気をつけるだぞ!」
「はーい」
ご老人の厳しい声の中には,まるでご自分の息子たちに諭すような優しい響きがあった。
登山道への道は車高の低いオーリスにはかなり厳しい悪路だった。だが,ちょうど帰りが一緒になった唯一の先客はなんとハチロクを一人で駆ってきたいた。
いまどき珍しいマニュアルの車が二台連なり,そろそろと凹凸を避けて山道を下るさまは,傍から見るとかなりコミカルだったろう。