…続いて顔戸城跡(可児郡御嵩町)
…と疑り深い妻ドレミ。妻木城で煕子姫のツメノアカでも飲ませてくればよかった。
可児川北岸の集落に僅かに痕跡の残るこの城が実は明智城であるという説…。
toki右衛門氏はじめ地元研究家の間では有力のようだ。
司馬さんの「国盗り物語」の元にもなっている「明智軍記」は信憑性に問題ありとの説には説得力がある。
さてその「明智軍記」で光秀の居城とされる明智長山城(可児市)
1.5kmほども離れた街道沿いに臨時駐車場があったが今のボクにはとうてい歩けない距離だ。
東濃明智巡りのクライマックスはあえなく城門で撤退となった。
負け惜しみになるが,光秀が斉藤道三に加担したため竜興軍に攻められて明智城は落城,光秀は身重の煕子を背負って若狭に落ちるという「明智軍記」の記述には矛盾があり過ぎる。
光秀の城は顔戸だったとの説を採ることにして今日はここまで。高速を利用して一気に西進し,岐阜市の北にある山県市に向かう。
淡墨街道を宿に急ぐ道すがらコンビニの駐車場でのこと。
遮断機の音が聞こえてきて,すわ!…と反応するのはかつて撮り鉄だった名残の性か。慌ててミラーレスを取り出す横をゴトンゴトンと樽見鉄道が過ぎて行った。