山県から名神高速で大津へ。大津や京都は関東の人間がイメージするよりずっと南にある。
ルイス・フロイス「日本史」にも安土城に次ぐと記された光秀の居城。
その壮麗な姿の痕跡は微塵もなく,今はただ曇天に湖面が鈍く光るのみ。
対岸に近江富士(三上山)が美しい。二年前にタローと最後の旅の終わりをあの山の麓で過ごした。
「あ!お母さんの好きな白い秋明菊だ!LINEに写真送ってあげよっと。」
母とはボクの母でつまりドレミには姑である。
町の中に僧房が点在している。比叡山で厳しい修行をした僧が下山した後も修行を続ける房である。…と先日のブラタモリで見た。。
山崎の戦いに敗れた光秀が再起のために帰着を目指した城である。
今は昔の静かな住宅知が広がっていた。
湖水渡りの英傑明智左馬助秀満の最期を妻に物語りながら歩く岸辺。
「明智軍記」では妻木の姫煕子も秀満の手によって生涯を終えたとありますが,実際には本能寺の変の数年前に大病を患った光秀の看病疲れが原因で死去したようです。いずれにしろ愛妻家の坂本城主夫人としてこの城で生涯を終えています。