Apr.2012

免税店やガソリンスタンドが並んでいます。いよいよこの写真の奥が国境です。予想通り,行きはよいよい帰りはこわい…国境審査に突入します。

アンドラからの出国ではなく,スペインの入国チェックが厳しいのです。ピリピリしていて,写真なんか撮ったら確実に連行されてしまいそうです。旅行者でも容赦なくトランク検査を受けています。ナマズの巨体はいかにも免税品を満載していそうに見えます。…ホントはTシャツ1枚しか買ってないのにね。 この微妙な緊張感にEU非加盟国の立場が伺えます。まあ,それでもあくまで経済的な対立ですから冷戦時代のそれとは比べものになりません。

あの頃…,東ヨーロッパの国々の国境警備員はみなカラシニコフを肩から提げていました。ボクは東ヨーロッパを旅するのにパスポートとビザの他に,国境賄賂3点セット…紙パックの日本酒,セブンスター,漢字の書いてある100円ライター…をどっさりトランクに積んで旅したので,たいていどこでも30分ほどでちゃっかり通過していきましたが,普通は審査と税関をパスするのに半日がかりは当たり前でした。

我がナマズの荷物検査はあっけなく終わりました。何しろ検査員がリアゲートを開けると,巨大な荷室に小さなトランクがふたつ,7人乗りの後部座席には洗濯物が干してあるばかり,調べる場所なんかありません。

スペインに戻ると百花繚乱,ピレネー南麓には押し寄せるように春が来ていました。どうやら道路の冬期閉鎖は杞憂だったようです。幹線道路まで下らずとも,尾根伝いに西へ抜けられます。

日本では谷筋,川の出合いに田が開かれ,その底に集落があります。ところがスペイン北部の家々はみな小山の頂上に城壁を巡らせた中に作られているようです。他民族からの侵略にさらされ続けた歴史,その過酷さをうかがい知ることができます。そして堅牢な山頂の城壁都市は,皮肉にもヨーロッパ最大の侵略者であったローマ軍がもたらした高度な水道土木技術によって実現したものにちがいありません。

以上,ボクが現地で推測したことで学問的な裏づけはありません(笑)

村が頂にあるので,道路も自然に尾根伝いにできてきたのでしょう,車窓の風景も,谷を走る日本の道路の景色とはずいぶんと違います。

小さな集落をいくつも通って道は続きます。

狭い出入り口を石積みの壁で塞いだ谷には日本と同じような川沿いの村もあります。

ボイ渓谷が近づいてきました。

コーヒーを買ったついでにドレミがスタンド(コンビニ)の売り子さんに聞いたところによれば,14km先を右折して5kmくらい登ったところ…ナビの指示と同じです。

またまた例によってアンドラと同じく,ボクはボイ渓谷がどんなところなのか,何があるのか全く知りません。でもこれについては事前の調査不足とばかりは言えないのです。なんとボイ渓谷は世界遺産でありまして,それにもかかわらず公式情報がほとんどなかったのです。

「渓谷に石の町がある」

…らしいのです。渓谷が世界遺産なのか町が遺産なのかも調べていません。そもそもボクはテーマパークみたいな日本の世界遺産が苦手です。ネズミーランドやハウスナントカに行かないのと同じ理由で世界遺産には行かないのです。数年前に人に頼まれ,気の進まぬまま石見銀山を案内してひどい目に遭いました。大渋滞,大混雑,大行列…以来すっかり世界遺産恐怖症です。朝,行き先を決めるときになかなか決断がつかなかったのはそんな事情からだったのです。

最後の交差点を右折して上り坂,残り5kmになりましたが渋滞は始まりません。…どころか,行き交う車もまばらです。やがてナビが言いました。

「You arrived at the destination(目的地周辺です)」

「?…」

ボイ渓谷に到着したようです。

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