Apr.2012
E80号「ラ・ピレネエンヌは完全な高速道路でした。ほぼピレネー山脈の北麓に沿って辺境を東西に結ぶ路線ゆえ全線有料は致し方ないところでしょう。
ヨーロッパの高速道路はとにかく走りやすいので楽です。それは追い越しを終えたら走行車線に戻るというマナーが徹底しているからです。日本のように傲然と追い越し車線を走り続ける車がないので，遅い車も速い車も自分のペースでずっと走ることができます。
もうすぐ8時だというのになお明るい西の空を目指して走ります。山道では誠に鈍臭かったナマズが高速道路ではパワフルな走りで他を睥睨しています。「えっへん」とえばっているような快調なエンジン音です。やがて日もとっぷりと暮れました。目的地ははるか大西洋岸です。このまま走り続けていてはギリがないので，どこか泊まるところを探さなくてはなりません。
標識にポーという町が出てきました。その名前が何となく気に入ったボクたちはポー市の郊外で高速のランプを下りました。旅慣れているので，格安モーテルのありそうなロケーションが勘でわかります。ほどなく，狙い通りバイパス沿いに手頃な宿を見つけ駐車場に乗り入れました。ドレミがフロントに走っていきます。
アメリカやヨーロッパでモーテルと言えば，文字通り車で旅する人のための宿を指します。日本のビジネスホテルにあたるでしょうか。ボクはモーテルに泊まるのが好きです。安いだけでなく，前払いなので，外国人でもやれパスポートだ身分証明だと煩わしい手続きがありません。部屋の前に車を停められますから，大きなトランクをえっちらおっちら担いで階段やエレベーターを上り下りする必要もありません。早くチェックインしたときは販売機コーナーやランドリーで，子沢山の家族旅行者とか長距離トラックのドライバーとか様々な人たちと一緒になるのも楽しみのひとつです。
アメリカでは部屋を見せてもらってから値段を聞いて決めるのが普通です。ドレミはすっかりそのやり取りの会話にハマっています。値切ってないのに，相手が勝手にディスカウント交渉を始めることもあります。一晩だけのことだし，そもそもの値段が値段なのでシャワーさえ使えれば正直1ドル2ドルの違いなんてどうでもよいのですが，ドレミはやり取りそのものを楽しんでいるのです。
ナマズの運転席から眺めていると，ドレミがフロントの女の子と一緒に部屋をチェックしているのが見えます。
やってるやってる。
ボクは向かいのレストランの明かりに冷たいハイネケンのグラスを思い浮かべて喉を鳴らします。ところがどうもドレミが困ったようにボクを呼んでいます。車を降りてはたと気づきました。
ち，ちがう。
さっきバイパスから見つけたよさ気なモーテルは同じ駐車場に面した別棟だったのです。道路の反対側から，いったん脇道に左折して裏から入ったために間違えたようです。こちらの方が新しく，ネオンも目立っているのです。それもそのはず，見上げると一室37ユーロと大書されたサインが上がっているではありませんか。そうです。こちらは激安料金がウリのモーテルだったのです。
「どうしよう，ホントにせまくてオンボロなのよ。」
さすがにドレミも躊躇したのですが，問題はアルバイトの女子学生らしき受付係です。ノルマでもあるのか，堪能な英語を駆使してドレミに懸命にアピールしているのです。確かに彼女を振り切って，隣のモーテルには行きづらい雰囲気と気迫です。
「いいよ，ここにしよう。」
ボクは部屋も見ないで即決しました。これも一期一会でしょう。
ハイスクールで習ったらしい英語を使って，一生懸命営業トークする学生アルバイトの受付嬢…それは宿を決める条件として十分な旅情を持っていました。
何だかよくわからない向かいのレストランで，何だかたいして美味しくない料理をつっつきながらも，ハイネケンと赤ワインをきゅーっとやって，陽気に千鳥足で帰ってくれば，狭くてオンボロな部屋でも黄金の御殿。
コーヒーは宿のフロント脇の販売機で買えます。
ピレネー山脈の北側では当然テレビのサッカーニュースはリーガアン。ディジョンFCOで調子が出ないと聞く松井大輔の情報が流れないかと一生懸命眠い目をこすっているボクを尻目に，
「今日はジダンは出ないの？」
と裸のまま画面を横切ってカプセルのようなシャワールームに入っていくドレミ。
意外にサッカーには詳しいのですが詳しいと言ってもこの程度です。
こうしてボクたちは初めてのフランスで，自分たちのヨーロッパ安宿泊記録を塗り変えることとなりました。
確かアリゾナ州で一室3000円代のモーテルに泊まったことがありますが，15年くらい前のことです。日本ではいつも連泊する道東の定宿でも一人3500円。もしかしたらここポーのモーテルはボクたちの旅史上最安値かもしれません。
ちなみにこの二段ベッドを使えば，もう1人泊まっても料金は同じだそうです。おやすみなさい。
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