Apr.2012

カトリックの三大聖地はすなわち,ゴルゴダの丘のあるエルサレム,聖ペトロの墓があるローマ(バチカン),そして聖ヤコブが殉教したスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ(サンティアゴはスペイン語で聖ヤコブ)です。


←高速パーキングにあった巡礼の巨大モニュメント


とりわけ,フランス南西部からピレネー山脈を越えてスペイン西端にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラへ至る巡礼路は,今でも年間10万人を超える信者が旅をしています。キリスト教徒は,長く苦しい巡礼の旅を通して信仰と向き合い,自分自身を見つめなおすことを務めとしているからです。それはちょうど四国八十八霊場を巡るお遍路と共通する精神性に思えます。

←ホタテ貝を模(かたど)った巡礼のシンボル


ヨーロッパ各地からフランス南西部に集まってくる4本の巡礼路のうち,西側を通る主要な3本はバスク領内オスタバで合流し,サン=ジャン=ピエ=ド=ポウを通ってイバニェタ峠を南に越えます。

サン=ジャン=ピエ=ド=ポルの位置をご確認ください↑

昼過ぎにバイヨンヌを出発したボクたちは,相棒ナマズデス=ベンツを駆って奇しくもこの巡礼路を往くことになりました。奇しくもと書きましたが,正確に言うと,この旅はカトリックと無縁ではありません。ボクたちは,司馬遼太郎さんの「街道をゆく」の足跡をたどっているからです。司馬さんは今から30年前,はるばる二人のバスク人宣教師の故郷を訪ね来ていらっしゃいます。

一人は近代の作家ゾヴール・カンドウ神父 [Sauveur Candau(1897-1955)カトリック司祭,筆名:貫道,苅田澄など]でサン=ジャン=ピエ=ド=ポル出身です。

そしてもう一人は「以後よく見るキリスト教」中世1549年に来日し,結果として,日本史上最も重要なヨーロッパ人となったフランシスコ=ザビエル神父です。彼は峠の南側ナバラ国で1506年頃,貴族の子として生まれました。

峠のフランス側の麓にあるのがこれから訪れるサン=ジャン=ピエ=ド=ポルの街です。

←巡礼路を示すプレート
(サン=ジャン=ピエ=ド=ポル)


←巡礼宿です。

↓石畳にもホタテ貝のマークがあります。


やはり四国と同じように巡礼者のための宿がたくさんあります。

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巡礼路は周辺の歴史的建造物とともに道自体が世界遺産に登録されています(1993年にスペイン側,1998年にフランス側が登録)。

ユネスコのリストを検索してみると,2011年現在道路自体の世界遺産はイスラエルの「香の道」,メキシコの銀の道(カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロ),日本の熊野古道,そしてここサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の4つだけのようです。

サン=ジャン=ピエ=ド=ポルの朝,霧雨の石畳で峠に向かう巡礼者と会釈してすれ違いました。


今はほとんど使われませんが巡礼者用の水のみ場がいたるところに整備されています。

←老若男女,家族連れ,一人旅,カップルなど巡礼者はさまざま。

←国境の看板にも巡礼路の表示


霧に煙るイバニェタ峠を国境の橋から写しました。右の坂はもうスペインです。右端にデューティーフリーショップの跡らしき建物が残っています。

スペイン側にある峠の町バル・カルロスの広場


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