Apr.2012

国連加盟の独立国という条件で言えばバスクは「国」ではありません。

ではバスク人とはどういう人たちなのかと言うと

「このあたりにもともと住んでいた人たち」

というのが最も正確な表現かもしれません。ピレネー周辺にはさまざまな民族が征服王朝を建て,あるときは世界中に覇を唱えるほど栄えたりもしました。現在はスペインとフランスが国境を画定していますが,その間ずっと「住んでいた」のはバスク人です。沖縄における琉球びとと似ています。

はるか古代,クスコーの洞窟に狩りの絵を描いたのも,中世,敬虔なカトリック信者となってボイを始め多くの遺跡を残したのも,無敵艦隊を実際に操船したのもみなバスク人です。日本人にとっても,ヨーロッパ人(南蛮人)の最初の印象を決めたのはバスク人の容姿と知性でした。

高曇りの春らしい天気です。ボクたちは巡礼路をサン=ジャン=ピエ=ド=ポルに向かっています。

ゾヴール=カンドウ神父のことは,もちろん「街道をゆく」を読んではじめて知りました。その後,調べていくと,第一次大戦で負傷したのをきっかけにカトリックに傾倒し,派遣先の日本に生涯を捧げたことがわかりました。その間,第二次世界大戦で祖国と板ばさみになり,フランス政府から諜報活動を命じられました。それを断ったためにヨーロッパの最前線に送られて大怪我を負いましたが,終戦後再び日本に来ました。ボクの知る限り,最も熱烈に日本を愛したヨーロッパ人です。日本語の著作も多いそうですがまだ未読です。

遠く故郷を離れ慈善活動を続けるカンドウ神父の精神面を支えたもの,司馬さんはそれを,生まれ故郷サン=ジャン=ピエ=ド=ポルで過ごした少年時代の記憶だろうと考えました。

カンドウ神父の,あるいはカトリックの教えを逸脱するほどのヒューマニズムを育んだもの…それはおそらく教義ではなくこの山河です。


通過する村々の美しさは写真でも文章でも表現しきれません。

バスクのマークが描かれた美しい民家→



←これは「ピロタ」というバスク独特の球技の屋外球技場です。誰か村人がいたら練習の様子を撮らせてもらおうと思ったのですが,あいにく誰もいません。ちょっと失礼して代わりにボクたちがポーズしました。テニスの壁打ちを素手でやるようなスポーツです。



10数年前に「街道をゆく」を映像化したNHKのスタッフが同じ道を辿っていますが,資料や通訳が豊富に揃っているわけではないのですからドレミのナビゲート能力は彼らより格段に上です。



文庫本と手作り地図を両手に「街道をゆく」ゆかりの地を次々と見つけては道を指示してゆきます。司馬さんが感激して写真に残されたこのモニュメントも,今では村外れの旧道沿いになっていた場所を,地元の人に2,3度尋ねただけでいともたやすく発見しました。

ここまで来ればサン=ジャン=ピエ=ド=ポルはもうすぐそこです。


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