Apr.2012


一夜明けてサン=ジャン=ピエ=ド=ホウの朝は春の雨でした。



食堂からいい匂い。



焼きたてパンとミルクコーヒーの朝食です。


宿を辞して再び城壁の中に行くと,石畳の坂には霧が立ち込めています。あの日本人の若者はもう暗いうちに峠に向かったことでしょう。


あちらこちらの巡礼宿から,ひとり,また一人と雨合羽に身を包んだ巡礼者が現れては霧の中に消えてゆきます。これから難所である峠越えに挑む彼らは一様に黙し,信仰心が研ぎ澄まされているのです。

ボクたちは朝からずっと探しています。


カンドウ神父の生家を探しています。

「街道をゆく」によれば,司馬さんが生家の隣にフランシスコ=ザビエルゆかりの家を示すプレートを発見していたからです。

限られた城内の道を行ったり来たり。ところが本当に司馬さんが「たいへんなものを見つけてしまった。」と,興奮気味に記されていたプレートは意外なところにあっさりと見つかりました。


案内所のあるメインの広場から城壁の門をくぐった一軒目がその家だったのです。夕べ,ディナーを楽しんだレストランと城壁をはさんで隣です。してみると,カンドウ神父の実家はその隣ということになります。なーんだ,昨日からもう何度も行ったり来たりしていたところではありませんか。


実家は確かカンドウ神父のお姉さんがはじめた小間物屋さんで,NHKのスタッフが訪ねた10数年前は,神父のおちゃめな姪御さんがブティックを営んでいらっしゃいました。まだ開店前ですが,ウインドウを覗くと婦人服が見えますからどうやらこの店に間違いないようです。こちらの壁にもなにやらゆかしき石のプレートがあります。

それを撮影していると,いきなり窓が開いて,テレビで見覚えのある姪御さんその人が手を振りながら現れたものですから,ボクたちは相当驚きました。

「Are you Japanese?」
「Ye..Yes. Good mornig. Are you Ms. Candau ?」
「Yes, I am.」

 

英語です。おそらくボクたちのように「街道をゆく」を読んで,日本から訪ねてくる旅人がたくさんいるはずです。叔父さんを慕ってはるばるやってくる日本人に,いつもこうしてやさしく声をかけていらっしゃるのでしょう。


石橋の撮影をしていると,今度はベランダにミセス・カンドウが現れました。ドレミと言葉を交わしています。

その姿を遠くメインストリートの橋から望遠で抜いていたボクの頭を,誰かがベレー帽の上からぐりぐりとなぜます。驚いて振り向くと昨日の帽子屋でした。手を振りながら,町の方へ走ってゆきます。スーパーにでも買い物に行くのでしょうか。

ボクは迷いに迷いました。あまりに温かい街の人々,ミセスカンドウ,帽子屋,満室だったホテルの奥さん…そうだ,あのホテル,今夜は空いているだろうか…。石橋で点景になっていたドレミがいったん城壁内を通って駆けてくるまでの間にそんな葛藤を振り払いました。

「行くか」
「うん」

ボクたちは短く言葉を交わし,あとは無言でナマズに乗り込みました。じっくり相談したら,このまま日程ぎりぎりまでこの素敵な町に留まることになりそうだったからです。ボクたちにはあと二箇所訪ねなければならない場所が残っていました。

その一つが巡礼路の国境は小さな川に架かる橋です。司馬さんが入国審査の間,国家と国境について考察された場所ですが,今は何もないただの村外れの橋でした。注意していたのに気づかずに通り過ぎてしまい,Uターンして戻ったほどです。

この橋です。

ドレミが立っている場所を境に向こう側がフランス,こちら側がスペインです。村人にとっては,ある日突然に引かれた国境線でした。

…「国」とはいったい何でしょう。


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