Apr.2012

宗教について考えています。

「ローランの歌」というフランスに古くから伝わる叙事詩があります。778年,フランク帝国王シャルルマーニュは十二勇士を率いてレコンキスタ(イスラム勢力からイベリア半島を奪還する戦い)の軍を発しました。苦戦が続いたために一時撤退することになって和睦を受け入れますが,これは裏切者ガヌロンとサラセン(イスラム)帝国マルシル国王の罠でした。殿軍を志願したローランは2万の兵とともにイスラム軍の奇襲から本軍とキリスト教の名誉を守って奮戦,ついに「ロンスヴォーの戦い」で全滅するというストーリーで,多くのフランス人に今でも愛されているそうです。

ちょっと「大楠公の歌」と似ています。尊王とキリスト教の違いこそあれ,義のために戦った悲運の勇士は絶大な人気があります。青葉繁れる桜井の~と歌われる桜井の別れなど涙を誘う名場面の数々は,いかにも皇国史観を浸透させる目的で作られたエピソードの匂いがしますが「湊川の戦い」そのものは史実です。

一方,「ローランの歌」は叙事詩と呼ぶには無理があるほど史実とは違います。フランク帝国軍の目的はイベリア半島の侵略で,その撤退中にわずかな地元バスク人たちの抵抗にあって,大打撃を被ったというのが史実です。つまり,ローランが戦った相手は「いわれなき侵略を受けた敬虔なカトリック信者たち」だったわけです。

ここがロンスヴォー峠です。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路がとりわけ人気なのは,この古戦場を通ることと無縁ではないでしょう。ただ巡礼者たちもみな,ローランの伝説が史実と違うことは承知しているはずです。それなのになぜ,この叙事詩は陳腐化しないのか,このへん,信者ではないボクには理解不能です。


この稿を書くにあたって,エルサレムについてもずいぶんと調べました。小さな町の中心部にユダヤ教,キリスト教,イスラム教の聖地がひしめいています。ボクなどは3つの宗教はもともと同じものだと考えるのが最も自然で科学的なのではないかと思えてしまいます。もし,この罰当たりな暴論が正しければ,十字軍も中東戦争もアウシュビッツも9.11も,およそ世界史上の悲劇のほとんどはひとつの宗教の派閥争いが原因になっていることになります。


言い過ぎました。アッラーの神さまにもイエスさまにも謝ります。では異なる宗教だとして,それぞれの神さまたちは,異教徒なら殺してもよいと教えられていらっしゃるのでしょうか。

もちろんそんなことはないでしょう。つまり十字軍も中東戦争も聖戦ではなく,政治と国家主義が宗教を利用しているだけなのです。そこには利権のにおいがぷんぷんとします。

宗教はカンドウ神父のように異国で慈善事業に生涯を捧げてしまうような聖人を生む一方で,それを利用して私利を貪ろうとする権力者をも生んでしまいます。

バスク人フランシスコ=ザビエルが命がけで日本に伝えたキリスト教は,徳川封建体制を支える儒教思想と相容れませんでした。17世紀の日本,キリスト教信者の殉教者数は資料に残っているだけで4000人,新井白石の推測では30万人だそうですが,例えば島原で原城に立て篭もってみな殺しにされた一揆民37000人は殉教者とは認められずに資料ではカウントされていません。実数は限りなく白石の数値に近いのかもしれません。しかもみな恐ろしい拷問と処刑方法で殺害されています。

維新後,日本政府の宗教政策は…もっとひどい。キリストは論外,仏さまと神さまは一緒(神仏併合)です。神社は一地域ひとつに限定し,中央集権制を徹底して,天皇こそ神だと教育(教育勅語)します。日清日露戦争に始まって沖縄玉砕,東京大空襲,広島,長崎の原爆被弾まで,いったい何人の人が聖戦で亡くなったのでしょうか。挙句に敗戦すると,現人神がラジオで「なんちゃって人間でした宣言」されたのです。ザビエルが「宗教心は強い」と報告した日本人の宗教心が完全に破壊されるのも無理ありません。

ボクは毎年,代々木の八幡さまに初詣します。結婚式では芝の教会で永遠の愛を誓い,死んだらおそらく戒名をもらって浅草のお寺に葬られるでしょう。ここまで宗教的に無節操で罰当たりな人間ができあがるには,それなりの歴史があるということです。

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