Apr.2012
日本を経つ直前のある日,ドレミが両手で胸を押さえながら言ったのです。
「あー!どうしよう。想像したら緊張で気絶しそうになっちゃった。」
仕事が忙しくてなかなか準備も捗らない中,彼女が「かんたんスペイン語ガイド」を買ってきたのは出発二週間前のことでした。そしてスペイン語は手ごわいけれど,せめてレストランの注文くらい現地語でしよというのを目標にしたのです。一生懸命CDを聴きながら練習する妻の姿にボクはとても励まされました。
ボクの軟弱な心は,今年に入ってもあの震災と原発事故をきっかけにして陥っいってしまった深いニヒリズムから立ち直れずにいました。バスクへの旅行は,そんな自分に喝を入れるため,半ば強引に計画を起こしたのです。
「癒される」べき旅行で「喝を入れる」というのは一般的にはヘンな話ですが,ボクたちの場合「旅は知力,体力そして創造力とチームワークをかけた勝負(笑)」という側面が大きいので精神面の充実が欠かせません。案の定,出発が近づくにつれ,ボクの気持ちはくじけて,全く立ち向かう気力が失せてしまいました。 旅行を中止する理由を探した夜さえありました。
ドレミがスペイン語を練習し始めたのはそんなときでした。想像しただけで気絶しそうなほど一生懸命になっている妻
「彼女をスペインのバールに連れてゆく」
…ただそれだけのためにボクはがんばろうと決意し,なんとか出発までモチベーションを保つことができました。
「そのとき」がついに来たのです。バスクの居酒屋はピンチョスと呼ばれるできあいの一品料理の味を競っています。いったんホテルに帰ってシャワーを浴びたドレミは,昼間目星をつけておいた一軒の戸をためらいもなく開けました。
それから大きく深呼吸してカウンターに進んでゆきます。
「Ora(こんにちは)!」
姿勢のよいその後姿を見ながら,ボクはこの旅を達成したという満足感に浸っていました。