Aug.2015
4. 地理学者のいざない
EOS 5D MarkⅡ+ EF17-40mm f/4L USM
先の事情で,予定していた名所めぐりを早々に切り上げたために時間が余ってしまった。レンタカーの予約時間までには,まだずいぶんとある。
「マイン川の対岸に美術館があるけど…」
時間つぶしに行ってみるか。
偶然とは本当に不思議なものである。こんないきさつで見学することになった美術館で,ボクたちは旅のテーマを決める出会いをするのだから…。
橋を探してマイン川に出ると,ゆうべ花火を見た河川敷に出た。アトラクションやレストランは跡形もない。観覧車も骨だけになっている。前夜は花火見物客が鈴なりだったあの橋を対岸に渡った。
フランクフルト シュテーデル美術館
シュテーデル美術館
コンテンポラリアートの展示室にあった犬の絵の前で,かわいらしいアジア系の女の子が一心にその絵を模写していた。美術館が提供しているパステルと画架を使っている。見るとはなしに見ていると,犬の腹のあたりに使う色に迷ったのだろう,パステルを選ぶ手を止めて困ったように後ろを振り返った。そこには母親と思しき黒髪の上品な婦人がソファに腰かけていて,低く静かな声で何か言った。
果たしてそれは中国語だった。おそらく,思った色を使いなさいとでもアドバイスしたのだろう,少女は軽くうなずき,黄土色のパステルを手にしてまた絵に向かった。婦人は静かに手元の収蔵作品カタログに視線を戻した。ポストモダンの作品が集められている二つ隣の部屋に行くと,スリムな東洋人の男がピカソの絵の前でしきりに首を傾げていた。いかにも人のよさそうなその横顔を確かめるまでもない。彼が女の子の父親だろう。
バッグや装いから見て,彼らもまた中国人旅行者であった。団体で姦しく街を占拠していた一部の人たちだけを見て国や民族のモラルや公共心を判断してはいけない。どこの国にもマナーの悪い人はいるし,教養ある人もいる。悪い人もいれば親切な人もいる。旅はそれを教えてくれる。
そして旅程を決める運命の出会い…「地理学者」はそのさらに奥の部屋の壁でボクたちを待っていた。
フェルメール作「地理学者」1668-1669年 油彩
ヨハネス・フェルメール…本名ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト(Jan van der Meer van Delft)地理学者と天文学者はともに親友だった微生物学者アントーニ・ファン・レーウェンフックがモデルを務めたと言われる。
教養のある外国人旅行者は,名作絵画の前であまりこういうことはしない。
東北に住むフェルメールファンの友人を思い出し,絵葉書を贖って書いた。彼女は,先日「真珠の耳飾りの少女」が来日したとき,それを見るためだけに上京したのに,激しい混雑で「立ち止まって見ることすらできなかった」と嘆いていた。
デルフトに行こう。
「え?」
フェルメール,本名ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフトはオランダのデルフトに生まれ,生涯,ほとんど町を出ることなく過ごした。名の末尾ファン・デルフトとは「デルフトの…」という意味である。どんな町なのか想像もつかないが興味がある。確かアムステルダムよりはずっと南だったと記憶していた。フランクフルトから,数日かけてのんびり周遊するなら十分に射程内である。
旅の目的地が初めて決まった。