Aug.2015

10. マルクスブルク城



駐車料金は2ユーロだったと思う。ちゃっかり日陰をゲットした。暑くはないが,すでにトランクには妻の自分土産チョコレートがたまり始めている。逆に言えば,日陰に駐車すれば,チョコも融けない程度の気候である。申し訳ないことにボクたちの出発後,日本はたいへんな猛暑らしい。


マルクスブルク城…世界遺産である。

ライン川の古城の中では,唯一30年戦争での陥落を免れたために,保存状態がずば抜けてよい。ボクは高校生の頃から,このあたりのヨーロッパ史が苦手なのだが,30年戦争は旧教と新教の争いに大国の王家の利害が絡んだものなので,プロテスタントを信仰していた当時の領主がよっぽど幸運だったのだろう。

12世紀,鎌倉時代の築城で,改築が1600年頃。その状態がほぼ修復によってよみがえっているらしい。城マニア流に言えば「現存天守」である。


これらの歴史や由緒を知ったのは訪ねてから後のことで,行く前に調べていたわけではない。城を見学したのも気まぐれである。ライン下りが世界遺産だということさえ知らなかった。

「ねえ,一つくらいお城の見学する?」
うーん,そうだなぁ。



ボクは少々,閉所恐怖症気味のところもあって,城や鍾乳洞の見物が苦手である。その上,犬を飼って以来,旅先でも切符を買って入るような施設にはとんと行っていない。

タローも連れていないことだし,たまには城見学なんかしてみるか。

「うん!!じゃあね…」



…ドレミは喜んで,ガイドブックの付箋のページを開けた。それが,ここマルクスブルク城だったのだ。

ボクと違って妻はこういう普通の観光コースが嫌いではない。張り切って,紫外線対策もばっちり,準備オッケー!!


EOS 5D MarkⅡ+ EF24mm f/1.4L USM

 


「ねえねえ,ちょうど英語のツアーが15分後に出るんだってー。チケット買っていい?」

もちろん,そのつもりだ。

「やったー♪」


EOS 5D MarkⅡ+ EF50mm f/1.2L USM

 


ところが集合場所を聞き違えたために,その英語のツアーには間に合わず,結局,普通のドイツ人のツアーに参加することになってしまった。


さっぱりドイツ語がわからないのに,ドレミはツアーガイドの真ん前に立って真剣に話を聞いている。ボクは妻のそんなところも好きである。


ところで,アメリカ軍の空爆をも免れたマルクスブルク城の次なる試練は老朽化と廃墟化だった。

ライン川沿いのほとんどの城は維持費に耐え切れず,売却されて古城ホテルになってしまったために,内部の原形を残していない。


世の中には血塗られた歴史を持つ中世の城に泊まってみたいなどという剛毅で酔狂な変人が結構いるものだ。だが,そんなニーズのおかげで,廃墟にならずにすんだ城も多い。この城がホテル化されずに生き残ったことは奇跡と言えるかもしれない。灯台下暗しで地元の人には歴史的文化的価値がぴんと来ていなかったのかもしれない。


1990年代,そんなマルクスブルク城に最大のピンチが訪れる。はるか東洋からリゾート施設の人間がやって来て,城を解体,修復し,南の島に移築しようと買い取りに乗り出したのである。


宮古島のドイツ文化村なるリゾート施設だという(注:この部分,どうしてもウラが取れないので,真実であるという確証はありません)。どこにそんな資金があるのだろうか。…資金はあるのだ。基地保有と引き換えに沖縄県に入る莫大な地方交付税交付金,そのほとんどが無駄な公共事業に投入されている。宮古島にもその予算を使い切るべく,コンクリートとゼネコンが押し寄せている。

サンゴ礁にビシバシと鉄筋を打ち込み,周りの離島に橋が架けられている。リゾート開発も盛んで,やがてその事業はリゾート会社に丸投げされるという構図だろう。古城の買い取りも十分にありそうな話である。

EOS 5D MarkⅡ+ EF24mm f/1.4L USM

 


それにしてもライン川にある中世の山城をサンゴ礁の島に移築するとは何というセンスの悪さだろうか。結局,計画は地元の猛反発を買って中止になったが,いまだに日本に対する不信感は根強いという。


1873年7月,台風のために座礁したドイツ商船の乗組員を宮古島の人々が勇敢にサバニを操って救助した。

その記念施設を作るから,ちょっと城を一個買って運んでいくね。…地元の人の反発は当然である。宮古島の人だって驚いているだろう。

それならば代わりに…。

…と,構造図と設計図を代わりに提出させ,あくまでもサンゴ礁の海岸にコンクリートのイミテーションを建てた。だから,宮古島のマルクスブルク城は本物と寸分変わらぬ形らしい。偶然にも今春,宮古島を訪れたボクたちは,ドイツ村のそばを10回くらい通ったが一度も行ってない。それくらい胡散臭いオーラ出まくりだったのだ。


城内からライン川が見下ろせる。マルクスブルク城がこのライン川の景観とともに「ライン渓谷中流上部」として世界遺産になったのは,宮古島移転を逃れてから10年ほどたった2002年のことである。もしも移築が行われていたら,宮古島は世界中から後ろ指を指されたことだろう。


ドレミが何やら構図を狙っている。

何撮ってるんだ?
「いいの!」

ドレミが城で撮った写真集である。




ところでボクたちのツアーガイド…陽気で根っからこの仕事が好きそうな様子が好ましい。説明を終えると次に移る前に,さっとボクたちの脇に来て,もう一度,英語でざっと説明してくれる。言葉の分からないボクたちをとても気遣ってくれているのが分かる。


甲冑や武器の展示室で,小さい子など何人かのツアー客に,特別サービスで鉄仮面を被らせてくれる。

きっとボクも選ばれるだろうなと思っていたらやっぱり選ばれた。


「ああ,楽しかった。」



本当は昼食代わりに,城内のテラスでホットコーヒーといっしょに大きなイチゴのケーキを食べたかったがあきらめた。

そう,ボクたちは車にお弁当を持って来ていたからだ。ローレライの船着き場で買った水で,もさもさと固くなったサンドイッチを食べながら考えた。

前日乗った渡し舟のことをである。ライン下りに一か所だけでも橋が架かれば,観光客にはこの上なく便利であろう。だが,世の中には便利である必要のないものもある。伊良部島と宮古島はやはりフェリーで渡るべき場所だ。一度壊せば景観は戻らない。

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