Aug.2015

17.蘭学



ハーグを出て,尚,北に向かう。

アムステルダムまで,あともう40kmほどというところにライデンという街がある。


ボクたちは,またも工事中の道路に苦しみながら,その美しい街にたどり着いた。


そして中心街近くで,うまい具合いに運河沿いのパーキングスペースを見つけてオペルを停めた。

ライデン散策

18世紀の初め,ドイツバイエルン地方にあるヴュルツブルク大学に,鼻持ちならない地元貴族の次男坊が入学した。彼の家系は親族に至るまで,代々,医者や医学者を多く輩出していて,父親もヴュルツブルク大学の生理学教授だった。彼が入学したのももちろん医学部だったのだが,学内で著名な植物学者に出会ったことから植物学,ことに未開の土地で新たな植物を発見することに興味を覚えた。やがて医院を開業したが,貴族としての虚栄心と植物学への興味から未開の地である東洋研究に傾倒していった。

そして26才のときハーグに赴き,国王の侍医の紹介で,まんまと東インド会社軍医として喜望峰回りの商船に乗った。目指したのは未知の植物の宝庫,極東の国日本である。そのために当時,日本と唯一国交のあったオランダの軍医としてジャワ経由で出島に渡った。

彼の名はフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト。江戸時代,蘭方医学の祖である。


幕末。医者はもちろん,自然科学を志向する日本の研究者たちは,尊王攘夷の志士たちをはるかに凌ぐ情熱を持っていた。彼らは軍医シーボルトという一個人の頭脳を通して,ヨーロッパでも誕生間もない実証的自然科学を猛然たる勢いで吸収した。司馬さんは「街道をゆく」の中で,それを確か「小さな穴」と表現されていたと思う。

シーボルトという人は人格こそ平凡であったが,科学者として,医者として,さらには教師として,極めて高い能力があったと考えられる。それは彼の家系と無縁ではないのかもしれない。


それにしてもライデンのデルフトに勝るとも劣らない美しさはどうだろう。

…実はこの街は他ならぬシーボルトゆかりの地なのである。

EOS 5D MarkⅡ+ EF17-40mm f/4L USM

むろん,シーボルトは未開の日本に西洋科学を伝える穴たらんと,高尚な志を抱いてはるばる日本に行ったわけではない。興味と功名のため,日本の動植物をせっせと採集して標本にし,地質や文化などあらゆるデータを収集しては密かに本国に送った。当時の徳川政権下ではもちろんイリーガル…ご禁制であった。そのうちの1艘が座礁して幕府に露見した。シーボルト事件である。

国外追放処分になった彼は,おそらくいそいそとオランダに戻り,収集品の整理,研究に入ろうとしたところが驚天動地,積み荷の送り先だった最大の港ブリュッセルがオランダではなくなっていたのだ。1831年,ベルギーがオランダからの独立を果たした。帰国したシーボルトはベルギーの首都となったブリュッセルの大混乱に乗じて,大切な収集品をライデンに転送する手続きを取ることに成功する。ライデンは当時から,研究機関や博物館,大学,そして研究者や学生があつまる文教都市だった。


母国ドイツのボン大学から,日本研究の教授としてオファーを受けながらそれを断り,ライデンで日本研究に没頭した。資金は標本や資料を売って調達した。そして新種として様々な日本の植物や昆虫を発表して命名した。また,オランダ政府の援助を受けて著書「日本」を刊行し,日本学研究の祖としての名声を手にした。


シーボルトが暮らしていた屋敷が記念館として保存されているはずなので探してみると,灯台下暗し,車を駐車したところだった。看板やポスターに日本語が踊っていたが,展示物の情報はない。聞いたことのない日本の前衛画家の個展が開催中のようだったので素通りした。

EOS 5D MarkⅡ+ EF17-40mm f/4L USM


この一角にはレンブラントの生家があった。

レンブラントやフェルメールが活躍したのは,シーボルトより100年以上前のことだ。生家は残っていないが記念碑があるらしい。


「レンブラント通り」という標識を見つけた。目的地は近くだ。


…微妙な記念碑だった。


とりあえず絵描きのはしくれとしては,記念撮影するところである。

ところでシーボルトだが,貴族としての自尊心を満たして余りある名声を手にし,結婚して5人の子どもをもうけた。そのまま故郷に凱旋するだけで終わっていたら,きっと歴史上に名を成すことはなかっただろう。

日本がいよいよ開国し,追放令が解除されると,危険を顧みずに日本を再び訪れ,幕府顧問として維新回天に貢献した。60才を超えていたシーボルトを打算のない行動に突き動かしたのは何だったのだろう。彼のもとに集った弟子たち,そして温かい長崎の人々への想いだったと信じたい。

EOS 5D MarkⅡ+ EF17-40mm f/4L USM

シーボルトは3年間の再滞在の後に帰国して,オランダの官職も辞し故郷へ帰り,その3年後に70才で没した。

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