Aug.2015

19.オランダ料理


キンデルダイクの風車村で予約サイトにアクセスし,高速沿いにあるモーテルを探した。とにかくゆっくりと休みたかったのだ。それにはモーテルである。町の繁華街近くに宿を取ると,まず車でのアクセスが一仕事になる。その上,魅惑的な街の風景を見ればどうしてもカメラを担いで出たくなる。こじゃれたレストランも探したくなる。

最初からこの旅行記にお付き合い下さっている方ならばきっとおわかりいただけると思うのだが,もはやこの日のボクは心身とも疲れ果てていてとてもその気力がない。できれば高速近くにあるアメリカンなモーテル,広々した駐車場があって出かけたくならないよう周りはなるべく殺風景なのが望ましい。

それにボクたちの予算では,町中で取れるホテルは古くて狭くて設備が悪い。それを楽しむのも旅の醍醐味だが,今夜ばかりはだだっ広いシャワールームでざくざく髪と体を洗い,でっかいベッドにぽーんと身を投げ出したい。

高速沿いのモーテル


妻のドレミはスマホを操作してパーフェクトにこの条件を満たすホテルを探し当て,即予約を完了した。あと小一時間ほど高速道路を走ればワインとシャワーとベッドが待っている。

果たしてホテルは高速に近いどころかインターから1分,本線上からも見えるところにあった。ただ…高速を挟んで反対側だった。


そしてあろうことか片側3車線もある大きな跨道橋が工事通行止め!!5km近く離れた幹線道路まで行って高速を渡り引っ返して来なければならない。ナビは全く使えない。通行止めを知らないので橋に戻ろうとするからだ。



二人のカンだけを頼りに何とか迂回路を見つけて行ったが,これでは町の中心街にアクセスする方がまだマシである。インターから1分が遠い。


目の前に見えてから40分たってようやく到達。広すぎるくらいの駐車場。1階には希望通りのレストランあり♪

英語も通じてらくらくチェックイン!!

おー♪風呂だ!ワインだ♪ベッドだー!!


「フロントで聞いたら,ここブレダーっていう町なんだって。17世紀のスペイン軍の包囲戦ゆかりの門が残ってるそう…え?行くの?やめとこうよ。休んだ方がいいわよ。」

根っからの貧乏性である。17世紀とかスペイン軍とか聞くと見ないと損な気がしてきた。停めたばかりのコルサに戻り中心街に向けて車を出した。

…1分たたないところでナビの道順が通行止めの跨道橋を通っていることに気付いた。

ブレダーの夕暮れ


橋ばかりか町にアプローチする幹線道路もあちこち数ブロック単位で丸々通行止めになっていた。スペイン門があるという中央公園に着いたときはもうへろへろである。



そして例によってパーキング探し。もはや宿を中心街に取ったのと変わらぬ苦労をしてしまった。

その上,スペイン軍包囲戦遺跡のほとんどは軍事学校の施設になっていて一般公開されていない。

EOS 5D MarkⅡ+ EF17-40mm f/4L USM


これが目的地スペイン門である。

なんとディエゴ・ベラスケスのあの名画「ブレダの開城」の舞台だという。


ドレミなどはとっくに遺跡に見切りをつけ専らカフェやお店に興味が移っている。


「ねえねえねえねえ,ここで夕飯食べたい。ねえムリかなぁ。」

言うまでもなくムリである。こんなところでビールなんか飲んじゃって,酔っ払い運転であの工事だらけの道を帰れるわけがない。そもそもパーキングメーターの残り時間はもう15分ほど。


それまでに急いで車に戻らなければならない。


EOS 5D MarkⅡ+ EF17-40mm f/4L USM


ブレダー探検から戻りシャワーを浴びた。

レストランのメニューはオランダ語にフランス語の説明が添えられていて読めないがウエイターは英語を話す。ボクはメニューを閉じて「オランダのビール」「オランダ料理,量は少な目,3種類ほど」と,ウエイターに注文した。

何しろオランダに入って以来,最初はアウトバーンのサービスエリアでサンドイッチ,夕飯はアメリカンなハンバーガー,ホテルの無国籍な朝食,そして今日の昼はマウリッツ美術館のアップルパイである。ここは何としても「オランダ」が食べたいところである。


来た来た♪

手前にあるのはフリッター。フライドポテトとたっぷりマヨネーズ…ベルギー風である。国境が近いので致し方ないところだろうか。


こちらポーク料理のオランダ度はよりビミョーである。串の形などどこから見てもビジュアル的には焼きトンである。しかも味付けはビーンズソース(ウエイター談)。大豆の…ソース。発酵させれば醤油とか味噌と呼ぶがこれは中南米テイストである。

東アジアではインドネシアがオランダの植民地だったので,そこから本国に串や調理法が伝わった可能性を考えたが,イスラムの方は焼きトンは召し上がらない。

それではまさか出島経由の日本発だろうか。否,当時の日本人はやはりポークは食べない。オランダ統治時代の台湾起源説がボクの最終推測である。裏付けをしたかったが,日本語や英語で読める範囲のwebページでこの料理に関する記述は見いだせなかった。


パスタ(ウエイター談)!!

しかもスライスゴーダチーズがとろ~り♪赤いのはコンソメ煮の人参である。

え?イタリアンっぽい?…いえいえ(笑)


この麺,もちもちとしてパスタと言うよりはうどん。そしてからまっているソースは…色をよくご覧あれ。

こちらズバリ!甘~いおたふくソース。もう,大阪こてこて料理でんがな~(笑)果たしてこれらがオランダ料理なのだろうか。…その答えは翌日明らかになる。


とまれブレダーの夜は美しく暮れてゆく。

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