Aug.2015
24.ボラれる?
夜に再び訪れるのも同じ中心街。当然,遅い時間でもまだ開いている店のリストを手にドレミのチョコレート屋めぐりにはぬかりがない。
だが,夜はこちらが本来の目的地。
その名もムール貝ストリート。
名物料理を食べるのに,いささかボクたちらしくない「素(す)」な場所を選んだのには訳がある。
ムール貝
昼間,ドレミの真剣チョコレート屋めぐりの間,苦手な雑踏に放置されたボクはいつものようにせっせと街撮りにいそしんでいたわけだが,ふと魔がさした。明日からはまた,名前も分からない田舎の町を放浪するだろう。観光地にいるときくらい,妻の役に立っておこうという些か打算的な意味合いがあることも否めない。
これが悪かった。
東京でも町歩きなどしたことがない,いつも妻のあとに従ってついて歩いているだけの人間が如何なることか,異国の町で気まぐれを起こした。昼間,ストリートを行くと,「オイシイ」「コンニチハ」「ヤスイ」と,日本語のキャッチが入る。韓国語でも中国語でもなく日本語であることに気をよくした。あとで分かったことだが理由は単純だった。こんなところのキャッチにあっさりと引っ掛かるのは日本人だけなのである。よく見ていれば,彼らはまこと正確に東洋人の国籍を見抜き,賢い中国人や韓国人には声もかけていない。
カモはお人好しのジャポネ,ジャポネーゼだけである。ボクはいい気になって,数人から日本語入りの名刺をもらい,固く来店を約束してきたのだ。まさにカモ葱の典型があまりにあっさりとひっかかって,彼らの方が面食らったかも知れない。昼にはそこら中に掲げられている巨大なお値打ち価格入りメニューがすっかり片づけられる。夜の値段は相手によって変わるという仕組みである。
結論から言うと,ボラれたと言っても被害はそれほどにはならなかった。なんとなれば,ドレミが料理を注文するときに,ムール貝や名物ビールなど,値の張るものの値段を確認したからだ。彼女はキチンとガイドブックを読んで,このストリートが如何に危険かよく知っていたのだ。
会計の際,妻がクレームをつけると,請求書の額がいきなり5000円ほども安くなった。ボラれたと思しきはカモ葱シュウが注文したステーキ盛り合わせとビール数杯だけ。
結局,ムール貝ストリートのデンジャラスなムードを堪能して,笑って済まされる程度の授業料で済んだ。妻の機転のおかげである。
「ホントは行くお店も,ガイドブックに安全マークのあるとこに決めてあったんだけと,せっかくシュウが嬉しそうに名刺貰ってきたから,冒険することになっちゃった。」
ふうむ。これをふつう「カタナシ」と言う。以後,町歩きでは勝手な行動は慎み,彼女に従うことにしよう。
こうして,カモ葱の異邦人は大きな三脚を担いでムール貝ストリートを後にした。
ビールや料理の味は極上,ご機嫌千鳥足の行く手には,真夏でもさらりと心地よい夜気に包まれた世界遺産の町並みが待っている。
アールヌーヴォー
再び王宮の丘を上り,三脚を立てる。ドレミはいつものようにただそれを見ている。
「いいのが撮れてるといいね。」
そうだな…ボクの風景写真は平凡な作品ばかりだけど,よく見てもらうと,そこには楽しい時間が写りこんでいるはずだ。
夜も更けてきた。適当な路地を選んでホテルに帰る。歌うはいつもの「遠くへ行きたい」。知らない町の初めての道でも迷うことはほとんどない。ボクの方向感覚は特技だ。ほら,小便小僧が見えてきた。ボクたちのホテルはもう近い。酔っ払った勢いで,こんなところにも三脚を立てて記念撮影する。
「ちょっと待ってて」
ドレミが小走りに石畳の道を走り,やがてワッフルとコーヒーを両手に戻ってきた。
まさか,今,食べるのか。
「そうよ,当たり前じゃない。焼き立てなんだから。いる?」
いらない。
ボクの記憶が確かなら,この日,4つ目のワッフルである。
さらにその合間に試食したチョコレートの数は本人すら把握していないほどの量,少なくとも二桁である。