Aug.2015
25.ルクセンブルク大公国
ブリュッセルを発つにあたって,ドレミにはひとつやり残したことがある。フロントに行くと,なんと昨日のオヤジが今朝もにたりと笑いながら座っている。
「チェックアウトお願いします。それから,あの,もうひとつお願いがあるんですけど。」
「あなたの願いを当ててみましょうか。」
とりあえず日本人的感覚からすると,その話し方に多少の問題があるものの,ほとんどフランス語しか通じないこの街で,ここまで高度な英語を話せるフロントマンが,ボクたちが泊まるような安ホテルにいてくれることはありがたい。
再訪確定…ブリュッセル
「あなたが町でチョコレートをたくさん買いに行く間,車を置かせてほしい!!…どうです?当たりでしょう。」
そこまでパーフェクトに当てるとはさすがである。
「もちろんウィ!もっと観光もしていらっしゃい。車はお昼過ぎでも大丈夫。」
どうやらベルギー人は人情に篤いらしい。オヤジは当然だとでも言うような顔で目をくりっと動かした。
悪いが人情に篤いのは江戸っ子も同じでね。またチョコレートを買いに来るから,そのときは特別料金じゃなくても必ずここに泊まるよ。
さてさてドレミのやり残したことは…。
スーパーでの量販チョコレートチェック!!
日本で手に入るものも多いようだが,
「値段がちがうのよー。」
ちがうのよー…だそうである。
ボクは出発以来ずっと乾物の棚をチェックしている。目当ては料理でよく使うポルチーニ。前回,フランスの田舎町のスーパーで徳用のこわれものを見つけて山のように買ってきた。それがそろそろ底をつく。もちろん,このような高級品でも日本で買うよりはそれこそ値段がちがうのだが,できれば,また徳用大安売りに当たらないかと期待している。
ちょうど,大分のどんこ椎茸のようなもので,高級品はウルトラ高いけれど,徳用こわれものでも味は変わらない。ちなみにドイツのスーパーには高級乾燥きのこの棚に「shitake」が売られていた。きっと,ボクと反対に椎茸の出汁に魅せられた欧州人もいるに違いない。それはたぶん,ボクと同じく料理の天才を自称する軽薄な男で,日本旅行のときには,アメ横あたりで椎茸のパックを物色するに違いない。想像していたら可笑しくなって思わず笑っていると,店員が横で不審そうに見ていた。
なんでポルチーニだけ桁外れに高いんだろうね。
照れ隠しに英語で話しかけてみたが通じるはずもない。店員は首をすくめて逃げてしまった。
そうこうする間にドレミは着々と買っていくチョコを選んでいた。日本との価格差だけでなく,夏場,融けにくさも基準になってくるので,彼女のような専門家(笑)でないと選別は難しい。
ホテルの窓の外からオヤジに手を振って車に乗った。
ブリュッセルの街はまだいくらでも冒険する場所がありそうだが,再訪することが決まっているらしいので高速に乗ってそろそろ東に向かおうことにする。
東京に帰る飛行機が出るのはまだ2日後だが,ここは少々フランクフルトから離れすぎている。
どうせならルクセンブルクを通って行こうと思ったのは例によって計画的なことではない。ポータブルWi-Fiのレンタル料金が周辺4か国まで同じ料金だったので,行くかどうかわからなかったが,ルクセンブルクも登録しておいたのた。行かないと何となく損をするように感じるところが貧乏性たる所以である。
ボクたちは南西に進路を取り,なだらかな起伏が続く大陸をひたすら走った。何時間も走った。
そして例によって,看板ひとつで唐突にベルギーからルクセンブルクに入った。
とても懐かしい建物が遺っている。入国審査のあった頃の検査場だ。
ルクセンブルクの街並み
ルクセンブルクに入って,スタンドの値段表示に驚いた。
いくら1.4Lのオペルでも,ヨーロッパのガソリン代はあまりにも高いのでバカにならない。反射的に入ってしまうほどルクセンブルクの値段は安い。オランダと比べると30円/Lくらい違う。
「しまった。いくらも入らない。こんなことなら,途中で給油せずに来ればよかったよ。」
市の中心部に入ると,自然に入り口が4,5レーンほどもある地下への入り口へと導かれる。古い町並みの地下に巨大な駐車場が隠れているのだ。
。
階段を上がるといきなり王宮の広場に出た。
王宮には堀も塀もなく,衛兵の番小屋がなければそれと気づかないほどだ。残念ながらここの王様もバカンスで,それに伴って精悍な衛兵もお休みのようである。
あまりに美しい街並みに半ば唖然としながらも,まだまだ大物が潜んでいる予感がする。
例えばこの先のもっと展望が開けたあたり…。
ほらね。
タイヘンな規模と古さの城壁。
だが,ボクをもっと驚かせたのは,その城壁から俯瞰した町の景色である。
ヨーロッパには旅人を魅了する美しい家並みがどこにでもある。そして市民は自分の街をこよなく愛している。
戦乱や自然災害に襲われたのは,この地とても同じである。権力者や金の亡者の利権に狙われたこともあろう。だが,結局のところ,町の景観を守ったのは市民の意識であったに違いない。
京都や越後湯沢に高層ビルの建築を許してしまうような文化レベルの国では,しょせん爆買いや爆食の観光客しか満足させることはできない。そして彼らに媚びながら売っているのは化粧品や家電ではない。暮らしと伝統を含めた町のアイデンティティである。
ずいぶんと危険なところでお茶をしている若者がいると思ってよく見ると,体は大きいが,まだ中学生くらいの女の子たちだった。ドーナツを食べながら,お母さんに宛てたものだろうか,大きなはがきに色鉛筆で町の絵を描いている。
これも極めてヨーロッパらしい風景だ。転落事故でも起きれば,日本ならたちまち鉄の柵ができるか,はたまた縁に近づけぬよう内側に柵ができるか。そしてそこら中に注意を促す看板が立つだろう。ヨーロッパでは個人主義が徹底している。城壁の上で遊び,足を滑らせて落ちてもそれは自己責任であり,たった一人の愚か者のために柵や看板ができることはない。改札のない駅やバーのない有料駐車場もこの個人主義に基づいて成り立っている。
柵がない景観は素晴らしいが,愚かな素人カメラマンに命じられて,こんなところに座らされるモデルはたまったものではない。