Aug.2015

29.大曲の宿



網走川が河口近くでコの字に二度くねる地を大曲と言う。犬連れ旅の定宿に近い大好きな場所だが,ライン川が峡谷をのたうつこの地に比べるとさしずめ小曲になってしまう。

行きに対岸から遠望したボッパルトという街の家並の美しさに惹かれた。


「およそ7ぴゃくメートル先,右方向出口です」

新型ナビのおかしな日本語も,慣れてくると味に変わるが,夏期の工事情報に疎すぎる。


コブレンツでまた工事に振り回されたので,初めてグーグルマップのナビ機能を試してみた。


グーグルマップはほぼリアルタイムの工事,渋滞情報を把握する。…だが,一長一短である。どうやら本職のナビと違って,道路の現状を知らないようだ。


「直進して市道18号センに出る。そのあと右折です。」

敬体と常体が混じってるよ!!

…ってゆーか,ここは車道なのかー!!



白いクロスのかかったテーブルをかき分けるように広場に出た。まるでアクション映画のワンシーンだ。客や通行人に会釈しながら突破する。


こりゃ,ダメだ。ドレミを宿に走らせた。

旧市街が丸々残る街中にはとても駐車スペースはなく,観光客は町はずれの町営の無料駐車場に車を停めるとのことだった。

まあ,想定内である。


フロントに荷物を預けて駐車場に行った。


徒歩で宿に戻る道々がもはやあきれるほど美しい。


観光用の保存地区ではない。子どもが走り,おばさんはスーパーに買い物に行く現役の町だ。


景観は住人が自分たちで愛し守っている。


ドレミはスイーツの店のチェックに余念がない。


車で迷い込んだ先ほどの広場は,ほぼ旧市街の中心だった。コンパクトカーとはいえ,ここまで侵入したとは我ながらあっぱれである。


鐘の音に誘われて,広場から線路の方に路地を入ると,美しい教会の前に出た。10世紀は軽く超えていると思しき石積みの遺跡が児童公園ほどのさりげなさで保存されている。


遺跡から見てこのロケーションのところにピンクのかわいらしいホテルが建っている。これが今夜のボクらの宿だ。言うまでもないが,ボクらの泊まる宿であるから格安ビジネスホテル並みの料金である。

EOS 5D MarkⅡ+ EF17-40mm f/4L USM


宿の冷蔵庫。ビールを取って,上の帳面に部屋番号を書いておくだけである。飲み物の値段はスーパー並みであることがわかった。そんなこととはつゆ知らず,この旅の初めころはわざわざ外に買いに出ていた。


恒例,ドレミの荷物整理…またかよ。アメリカ人の従妹ウィノーナのフェイスブックには,ドレミのトランクの中が写真入りで「芸術品」として友人たちに紹介されている。

今夜の主な作業は,ブリュッセルで買ったチョコが融けないように,トランクから出して風通しのよい場所に並べているのだ。


この旅,最後の晩餐である。先ほどの広場に出かけたいと言うドレミを制して宿のレストランのテラス席に陣取った。平日にも関わらず近所の客で賑わっていたからである。ここは旨いに違いない。


例によって注文は地元の料理。陽気なおかみさんが食べ物や飲み物をチョイスしてくれた。

ビーフ?オッケープリーズ。
ポーク?I like it プリーズ♪

動物性タンパク質については無難に…冒険はしない。


じゃーん(;^_^A

生姜焼き。無難すぎる。


本当はワインを飲みたかったが,地物コブレンツビールがおすすめだったので逆らわない。

そのビールのグラスにピンを合わせているときだった。ドレミの横に厨房から宿の亭主がやってきてしゃがみこみ,にじり寄って来るのが目に入った。

目はわなわなと震えるように見開かれ,深刻そうに英単語をゆっくり口にした。

「ビ,ビーフに…付け合わせの…紫キャベツを…切らしてしまいました。」

これがゲルマン民族の本当の気質なんだと思う。相手は明らかにこの土地に馴染みない外国人観光客である。葱だろうが人参だろうが適当につけておいてもわかるはずがないではないか。

ボクらは前歯の一本欠けたさえない亭主に強い敬意を覚えた。ドレミがヤマトナデシコの心で応えた。ボクたちは観光客で,そもそもビーフの付け合わせが紫キャベツだとは知らなかったこと。そして,せっかくだから別の野菜で代用して,是非そのビーフが頂きたい旨,英語に誠意を込めて伝えた。

主人はほっと大きく肩で息をして,それからにっこり笑って厨房に戻って行った。


数分後にビーフ登場!!…ん?こ,これは!!

まさしく行きにカウプで食べたあれではないか!よほどのライン川スペシャルに違いない。カウプでの付け合わせはアップルソースで隣席の客に食べ方も教わった。もしかしたら,川を挟んでこちらは紫キャベツにかなりのこだわりがあるのかもしれない。


紫キャベツの代わりのビーツ。

…いや,ご亭主。気持ちはありがたいが,こんなにてんこ盛りされても食べられませぬ。

…と,さらに揚げ芋のような皿とでっかいマイジョッキを持って亭主が再びやってきた。


本日の食べ物はオーダーストップで,彼の仕事も終わりらしい。ドレミの隣りにどっかとばかり席を占め,

「かんぱーい」

…ってあなた(;^_^A



奥さんもまた,ボクらを気に入ってくれたらしい。

「お土産に…(推測)」

と,コブレンツビールのコースターを10枚もくれた。

テーブルの脇はプランターを挟んですぐ舗道である。そこを村人が一人,通り過ぎようとして通り過ぎない。明らかに挙動不審の動きをしている。亭主がやっとそれを見つけて言った。

「おい,素通りかよ(推測)」
「いやあ,見つかっちゃった?(推測)」

…明らかに見つかるまで行ったり来たりしていた。


亭主がビールを注ぎに行くと,

「ここ,いいかね。」

と,ドレミの隣りは新客の席になった。

こうして,なぜかボクらのヨーロッパ最後のテーブルは,店の常連客と亭主を交えた宴席になった。


宴会が跳ねた頃には日もとっぷりと暮れていた。今夜こそと狙っていた夕景も夕焼けしたんだかしなかったんだか定かでない。


町はもう静まり返っている。暗くなったばかりだが,時間はもう10時だ。

EOS 5D MarkⅡ+ EF50mm f/1.2L USM

EOS 5D MarkⅡ+ EF50mm f/1.2L USM

EOS 5D MarkⅡ+ EF24mm f/1.4L USM

EOS 5D MarkⅡ+ EF50mm f/1.2L USM


散歩から帰ると,屋内の気温がけっこう高かった。客室にクーラーはない。あっても年に数日も使わないだろう。階段を急ぐドレミの心配はチョコレートさまの安否である。

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