02/対面石

Oct, 2021

仕事が終わった午後10時に江東区にある職場を出ると12時前には三島に到着する。伊豆縦貫道を長岡まで下り西浦の海岸に出た。漁港の駐車場で自転車を下ろし海沿いの道を5分ほど戻る。


岩場に下りる崖の上でガードレールに自転車を縛っていると、茂みの暗闇から声が聞こえた。

「シュウさん、早かったっすね。」

三島に住む親友Cさんの声である。伊豆にある北条の史跡の案内を頼んでいたが、それは方便。緊急事態宣言が明けたのを幸い、久しぶりに彼ら夫婦に会いに来た。



なぜ駿河湾に面した入り江で待ち合わせたのかと言うと,Cさんがボクたちのためにヤリイカを釣っていたからである。彼は日本古来のエギングに拘る正統派のイカ釣り人である。ボクたちが到着して間もなく竿を納め始めた。クーラーボックスにはすでに大物が三杯入っていた。ドレミが感激して思わず叫んだ。

「すごーい!!三つも?!すごいすごい!」


「イカは泳いでいるときは一匹,二匹,釣りあげると一杯,二杯,捌いてからは一枚,二枚と呼ぶっす。」

事もなげに彼は言う。


西浦から三島まで飛ばしても20分はかかる。夫人のMiちゃんは日が変わって1時を過ぎても待っていてイカを捌いてくれる。



キンと冷えた地酒と釣りたてのヤリイカ。話題は1970年代のFRスポーツ…極楽の夜は更ける。


☆ ☆ ☆

明けて快晴の朝。さすがに朝寝坊して出発は9時になった。


三島人は富士に贅沢すぎる。新雪を戴いた秀麗な峰が秋空に映えても道行く人は一瞥もしない。ボクらのサイクリングは富士の姿を見る度に停まっては写真を撮るものだから遅々として進まない。



「清水町に義経と頼朝が対面した場所が残ってるんだってさ。知ってた?」
「ああ,それならオイラの生まれた家の隣っす。」
「え?!」
「子どもの頃によくアニキと鬼ごっこした神社の境内です。」
「ええええ!?」

…と言うわけである。



清水町のほとんどの道をボクらは知っている。20年前は若さに任せて月に一度のペースでCさん宅に遊びに来ていたからだ。



柿田川は素通りできない。



3年前に水中のミシマバイカモを撮ろうとしてこの淵に入ってあっけなく転び,買ったばかりの5D3を水没させた。Cさん夫妻としては,愛犬を喪って幽霊のような毎日を過ごしていたボクたちを励まそうとの企画だったが,ボクの足まで幽霊状態なのは想定外だったと言える。



奥に見えるのは狩野川である。ここは源流の湧水群から僅か1km,狩野川との合流点まで170mあまり,柿田川は日本一短い一級河川である。当然であるが清水町の名もこの川に由来する。


旧東海道まで一気に北上する。



八幡神社が見えてきた。



鳥居の下でMiちゃんがレヴォーグで先回りして待っていた。神社の木立を挟んで東側に隣接した住宅地にCさんの幼い頃の家があった。この神社が恰好の遊び場だったことは想像に難くない。



手水にも湧水が引かれている。富士川の戦いには諸説あるが,頼朝の陣がこの地であったことは吾妻鏡,源平盛衰記,そして平治物語にも共通している。湧水による水利が関係していただろう。



1180(治承四)年,10月21日というからちょうど今頃である。前日に富士川の戦いで平維盛率いる東征軍を破った源頼朝は黄瀬川の東まで兵を引き再びこの地に布陣した。「吾妻鏡」によれば弱冠一人、「源平盛衰記」では武者20余騎を率いた源九郎義経が陣を訪ねてきた。


源頼朝という平凡な人物に歴史上の勝利者となり得る資質があったとすれば,それはこの場に駆けつけた異母弟の中に戦闘指揮官としての稀代の天才を見出したことに他ならないだろう。



700年間続く武家による軍事政権の先鞭をつけたという意味でこの対面は日本史上最大の出会いと言えるかもしれない。



対面の際に頼朝が捨てたとされる柿から育った実生の柿の木はその姿からねじり柿と呼ばれるそうだ。この出会いから僅か5年後に頼朝は弟を渋柿と同じように使い捨てた。



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