04/眞珠院

Oct, 2021

真珠院三姉妹の美しさは彼女たちが高校生になる頃には隣町にまで知れ渡っていた。姉妹とすれ違って振り返らない人はいない。三島でも清水町でも年配の人たちはその神々しいほどの美しさを八重姫の生まれ変わりに違いないと噂した。同年輩の若者たちはその気高さに気圧されて遠巻きに通学姿を見るのが精一杯だった。


美しすぎる女性が必ずしもお金持ちや美男になびくわけではない。長女は岩のようにごつい顔の誠実を絵に描いたような男を入婿に迎えて古刹を継いだ。次女と三女が選んだのもまた、お金持ちでもイケメンでもない普通の若者だった。周りのライバルたちの地団駄踏む音が今でも聞こえそうである。


韮山の南端、狩野川の蛇行した洲の縁に眞珠院は静かに立っている。

美人三姉妹の三女の心を射止めた若者こそMiちゃんの弟だった。つまり今回訪ねる眞珠院とCさんは親戚関係にある。CさんとMiちゃんは高校生のときからの付き合いで,弟は「アネキの彼氏」であるCさんにべったりと懐いた。その義弟の結婚に伴ってCさんはさらに眞珠院の兄貴的立場となった。とくに信心深いとは思えないが、休日を利用しては敷地の整備や巨木の伐採をしている。


穏やかな秋の午後、眞珠院の門前にはゆったりと柔らかな時間が流れていた。



ボクたちは土手に座ってオニギリ弁当をほおばった。この夫婦はなぜかワリカンという観念がない。油断していると一方的におごってもらうことになる。


今日もすでに饅頭屋の前で売っていたポン菓子をポンと二つももらってしまった。

「どこかでオニギリを買って行って土手で食べましょう。」

というMiちゃんの言葉を真に受けて、オニギリ屋さんに寄って行くのだとばかり思っていたら何のことはない、午前中、自転車で対面石に行っている間にMiちゃんはオニギリ弁当を買いに行っていたのだった。


源頼朝の最初の妻となった八重姫が身を投げたのはこの川ではない。北条の里から伊東へ向かう途の端緒、眞珠院の北方にある淵だったようである。村人によって墓と小さな寺が建てられた。江戸時代にその寺が廃寺となったとき、供養塔は眞珠院に移され大切に守られてきた。



供養塔が安置された御堂が境内にある。


長女と入婿の現住職は男の子に恵まれなかったため、後継として三女の夫、つまりMiちゃんの弟に白羽の矢が立ったが、弟は仏門の入ることを頑なに拒んだ。代わりに後継者となったのは他家に嫁いでいた次女の子だった。出家して法名を龍唯,八重姫の悲劇の詳細は龍唯和尚さまにお願いすることにしよう。修行に入ったばかりの龍唯さまにとってはこれが初めての実戦である。かなり緊張していらっしゃる。

「えっとぉ」

ちびっ子和尚の説話が始まった。


マイクが風切り音を拾ってしまって聞き取れないところを含め「八重姫伝説」の由来を改めて説明し直そう。

八重姫の父伊東祐親は,北条家とともに流人源頼朝を監視する立場にあった。峠を越えて密かに伊東に夜這いする頼朝と八重姫が恋に落ちて授かった千鶴丸は祐親にとっても孫である。かわいい赤子を手にかけたのは平家に対する配慮である。断腸の思いだったに違いない。尚も頼朝を慕う八重姫は数人の侍女の手を借りて伊東の邸を抜け出し北条の里に来た。しかし頼朝はすでに北条政子と結ばれ,その父北条時政の家に居を移していた。会うこともかなわず絶望した八重姫は侍女たちが目を離した隙に淵に身を投げてしまう。 すでにブラック北条家では頼朝を利用して平家に反旗を翻す企てが始まっていた。八重姫と千鶴丸は北条家による陰謀の最初の犠牲者と言える。

御堂には八重姫の供養塔がすっぽり納められてる。



堂の回りを飾るミニ梯子は参拝者たちが奉納する。八重姫の入水に気づいた村人が助けようとしたが瀬の流れが速くて近づけなかった。せめて梯子があれば救えたとの思いから始まって今に伝わる風習である。



大役を終えた龍唯和尚は普通の小学4年生に戻り,Cさんに飛びついて甘えている。



Cさん,Miちゃんの客として特別待遇を受け,御堂も本堂もボクらのために開けられた。



真珠院は鎌倉時代に真言宗の寺として開かれ,室町時代に今川義忠により再興されて曹洞宗に改宗された。本尊や仏具など堂内の品々はさながら美術館である。



奥庭に通される。 



ひときわ趣のある坪庭に面した縁側に眞珠夫人が現れた。

「ああ、よかった。鳴っているわ。」

明るくコロコロと笑う姿が秋の日差しによく似合う。客のために久しぶりで水を流した水琴窟が音を奏でるか心配していたのだ。


なぜ室内からの撮影になっているのかと言えば,挨拶を交わしたときあまりの美しさと上品さに魅入られふらふらと近づいてしまったのをごまかすために,思わず「屏風の文字を撮りたい。」と苦しい言い訳をしたからだ。



いちおう屏風など撮ってるふりもする。



新型のハイブリッドカローラが音もなく境内に入ってきて,トレーナーに袖なしのダウンを着てクロックスを履いた男が現れた。回りを明るくするようなオーラを発している。



彼こそが数十人のライバルを退けて真珠夫人を手に入れた住職その人だった。飾り気のない口調で龍唯和尚の説話を継いだ。



堂内にナギの巨木がある。梛(まき科まき属)…葉の形から広葉樹に見紛うがよく見ると平行脈が走る裸子植物である。平行脈のため楕円形の葉が横には割けない。それゆえ男女の絆を象徴し,愛のお守りとして鏡の底に置く習わしがある。頼朝と八重姫は来世では結ばれ,千鶴丸を育んでおられようか。


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