01/チョゥウムペケスムニダ

Aug, 2004

夏休みを確保するため,前日の残業が終ったのは午前4時だった。フライトまで10時間。首都高で帰宅したのが5時,仮眠して新宿でお土産のひよこと日本茶を買いリムジンバスに乗った。頭はなかなか仕事モードから切り変わらず,旅に出る実感がわかない。さて荷物のチェックインで思わぬアクシデントにみまわれた。トランクに詰めたお土産の日本酒がNG。ボクらの使ったユナイテッドエアラインを始め,アメリカの航空会社では,あらゆるボトル類が禁止になっていた。五輪開催直前ということもあり,航空会社の神経はぴりぴりしている。

「吟醸立山でテロができるかよぉ」

声には出さずボクは目で抗議した。

「機内ならOKです」

「げ^^;」

というわけでボクらはカメラとレンズ,ビデオ,大型のノートパソコンとそれぞれのおびただしい周辺機器,ひよこ4箱に加えて,箱入りの日本酒3本を担いで搭乗口へ向かうことになった。肩に食い込む重量に耐えながら,ボクが改めてテロのない世界平和を祈ったことは言うまでもない。

やがて久しぶりに機上の人となったボクたちは眼下に美しい夏色の富士を見てすっかり旅気分になり,ユナイテッドエアライン独自と思われるスターバックスコーヒーの機内サービスをお代わりして「やっぱアメリカの航空会社はいいねえ♪」などと掌を返している。

窓の外は真夏の強い日射しが作る積乱雲が美しく重なりあって,束の間の水平飛行はまるで雲海を滑るような穏やかさだ。


フライトはわずか2時間。こうしてはいられない。空港にはハナが迎えに来てくれていて夜は彼女の家に泊めてもらうことになっている。ハナは,ドレミがNYCで知り合った友だちだ。

もちろんハナというのは本名ではない。韓国の漢字の発音は日本よりずっと原語に近く母音も子音も多彩なので,彼女たちの名前はアルファベットではなかなか表記しにくく,発音もむずかしい。かくいうボクらもハナの本名をいまだに発音できない。そこで若い留学生たちは名前を覚えてもらうために仕方なく,英語や日本語のニックネームを名乗っているのだ。日本名はエキゾチックな感じで最近女の子に人気らしい。宗氏改名の悲しい過去を知る世代は,さぞ驚いていることだろう。

さて,ハナの両親への挨拶である。スタバのコーヒーをちびちび飲みながら,ボクらは5月頃渋谷の大盛堂で見つけた「指さし韓国語」という本を出して簡単な挨拶を復習する。

「チョゥウムペケスムニダ(はじめまして)」が強敵だが必須科目だろう。空手チョップのポーズで「チョゥ」うなずきながら「ウム」両手をクロスして「ペケ」スムニダー♪怪しげなアクションを繰り返すボクとうけるドレミを乗せたUA801便は左に急旋回すると,夕焼けの海に浮かぶインチョン(仁川)国際空港に向けて着陸体勢に入った。

到着ロビーには待ち合わせ場所のインフォメーションが5箇所もあった。到着したゲートから最寄りのインフォメーションで待ってみた。若い女の子はみんなハナに見える。30分ほど待ったあと,他のインフォメーションを探しに行ったドレミがハナとハナのお母さんと一緒に戻ってきた。迎えはハナだけだと思っていたので意表をつかれたボクは,空手チョップが思い出せずに「チョゥウムペケスムニダ」が出なかった。おまけに外に出るとクロカンタイプのヒュンダイの前ににこにこ丸顔のお父さんまでいて,またもや「チョゥウムペケスムニダ」でドレミの後塵を拝した。車がすっかり暮れたハイウェイを走る間,ずっと車内に漂うほんわかした両親の雰囲気は,なぜハナのように元気で明るくて素直でみんなに慕われる子が育ったのか納得するのに十分だった。

ハナの家は古い高層マンション群の中で12階だった。家の中はとてもきれいで土間で靴をぬぐことを除けば,バスルームもリビングもキッチンもすべてアメリカンスタイルだ。ただキッチンには普通の冷蔵庫のヨコに天蓋の巨大な冷蔵庫が並んでいた。

「キムツィ専用の冷蔵庫よ。」

ハナは扉を開けて見せた。「キムチ」だけが韓国語の発音だ。

「Many kinds of(たくさんの種類の)キムツィ」

彼女がビデオに説明してくれる。ボクらは吟醸立山と日本茶にひよこ,それにハナへのお土産の「は」というひらがなのおしゃれはんこと浮世絵のマウスパッドを並べ,オモニ(お母さん)は軽めの手料理とキムチをテーブルに並べた。アボジ(お父さん)は

「封のきってないバランタインがあったろ(「バランタイン」以外推測)」

と上機嫌だ。ボクは即座に

「ソウジュをいただきます。」

と申し出た。

儒教のこの国の礼儀作法は年や世代が絶対だ。日本では主客によって上下が相対的に変わる。例えば話し手の両親や上司に対して日本では謙譲語が使われるが,韓国では尊敬語だ。酒席での杯のやり取りは,年下が必ず両手を添える。

NYCの狭いアパートの部屋で,インスタントチゲを手鍋のまま囲むときでさえ,ハナは年上のフーンの杯を左手を添えて受け,一杯目は視線を外すように体を軽くななめにしてうつ向き加減に口をつける。フーンとハナはそれぞれ韓国人留学生男女のリーダー的存在で,ふだんは夫婦漫才よろしく,激しいやりとりをしてみんなを笑わせていたので,そのシーンはボクらには鮮烈だった。逆にドレミが両手で酒器を取ってフーンにお酌しようとしても彼は困って受けられない。ドレミが片手に持ちかえた瓶から,脇腹に左手を置いて右手で受ける。ボクが注ぐときは左手が右の肘まで移動する。少し年下のジョーはハナに対しても二の腕に添え,ハナがボクから受けるときは完全に両手で杯を持っていた。若い彼等がさりげなく見せたそのしぐさは,何とも風雅だった。

通訳のハナが席を立つと,言葉が通じないため,お互い満面の笑顔だけで場をつなぐ四人のテーブルに緑色のソウジュのボトルが置かれた。

ボクは一気に盛り上げの勝負に出た。杯をうやうやしく両手で受け,お父さんが口をつけたのを確認するやいなや,彼から90度体をひねって杯を干し,意を読んで両手でボトルを持って待つドレミの方に180度反転して,ことさらにえっへんポーズで注がせた杯を,今度は真っ直ぐ彼女を見たままイッキ飲みした。 …受けた。

とくにアボジはやんややんやの風情。意をくんで解説を加えるハナのフォローもいらないほどの上機嫌でウケてくれた。

二日間,半徹夜明けの体に心地よく酔いが回る。ソウジュは日本人にはちょっと甘すぎる焼酎だが,飲み心地のワリには強い。そっとドレミとアイコンタクトすると,いつもは体調を気遣ってきびしく管理する彼女の目がGOサインを出している。オモニがボクらのために用意してくれた料理はどれも美味しく,とくにワカメとキュウリの酢のものは,ここ2週間,コンビニ弁当ばかりだった舌に優しかった。日本と同じ味だが,酢を水で少しうめてあって,冷たいスープのようにスプーンで飲んだりもする。

 

杯を重ねるうちに話もはずんだが,ボクとハナの英語は少し怪しい上にお互いのなまりに苦しみ,話の成り行きで,「ボクは冬ソナの主題歌をきっかけに韓国のポップスに興味を持ち,ドレミはアンジョンファンの大ファン」ということになってしまった。翌朝,偶然にもテレビがアン選手の横浜での活躍と生活を特集していて,実は名前くらいしか知らないドレミは大いに困った。

ともあれボクは,酔いで意識が薄れる前に,旅の目的地のうち,まだ所在のはっきりしていない友鹿洞のことをお父さんに尋ねてみた。何しろハナを始め韓国の若者は漢字をほとんど読めない。ここ最近の教育が,結果的に漢字を排除する形で行われたことと,ハングル文字の圧倒的な表記能力が原因であろう。司馬さんの「韓のくに紀行」にある「慶尚北道嘉昌面友鹿洞慕夏堂」の場所を探すのは彼等には至難のわざだ。

アボジは勇躍,老眼鏡やら漢韓辞典やらをひっくり返して,ついに,ボクたちが新宿紀伊国屋で買ったほとんど漢字とアルファベットだけで書かれた韓国ロードマップの72ページに「友鹿里」の小さな文字を見つけた。

シャワーを浴びてハナに小さい頃のアルバムを見せてもらいながら,ボクは気絶するように寝た。思えば今朝の明け方はまだ職場で受験生に囲まれていた。どこから数えるのか難しいがとにかく長い長い一日目が終わった。


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