02/マシッタ

Aug, 2004

朝,目を覚ますと,もういい匂いがしていて,オモニが韓式の朝食を準備してくれていた。温泉旅館の朝食並の豪華さだ。言葉が通じないときの食事のマナーはこれしかない。すなわち元気にたくさん食べる!

ボクはおこわと汁をおかわりして,数種類のキムチとお菜全部に箸を出し,ボク専用に特盛りされたワカメの酢の物を平らげた。

もちろん,知ってる単語の中で唯一この場面に使える「マシッタ(おいしい)」は感嘆バージョン,感涙バージョンなどさまざまな形で交えてみた。実際オモニの手料理は,どれもヘルシーで美味しく,そしてたぶん二度と味わえない本当の韓式家庭料理なのだった。

荷物をまとめてエレベーターで降りると,駐車場の一角が朱色に染まっていた。ボクとドレミは,カメラとビデオをそれぞれ同時に起動させながら駆け寄った。唐辛子である。あたりに香りが漂う。夢中でシャッターを切るのを,ハナとオモニが不思議そうに眺めていた。それは韓国では当たり前の光景で,数日もしないうちにボクらにとっても,ありふれた光景となった。

仕事が午後からのハナがソウルのホテルまで送ってくれるそうだが,彼女の運転では,ソウルの中心街まで往復するのはムリだと言う。ソウルの道路の恐ろしさは後に体験することになるが,このときはよほど彼女が初心者なのだろうと理解し,最寄りの駅まで彼女の車で行って,そこからいっしょに電車に乗った。

出国前まで東京は記録破りの猛暑が続いていた。

「韓国はどうかしら」

トランクに衣類を詰めながらドレミが聞いた。東京の異常気象は,特殊な気圧配置がもたらすフェ-ン現象によるもので,北陸では豪雨になっていたりする。

「もちろん,夏だから暑いだろうけど,東京とはちがうよぉ」


…同じだった。駅の長い階段の上までトランクを担ぎ上げると,全身水をかぶったように汗がが止まらない。

ソウルに向かう電車は,まったく異国のそれという気はしない。ちょうど,ふだん東京の西側で京王線や小田急線に馴染んでいるボクたちが,京成線や東武線に乗ったとき程度の違和感だ。

何度か地下鉄を乗り換えて,明洞(ミョンドン)駅で降りた。ファミリーマートがあってミニストップがあって,まるで歌舞伎町か渋谷のセンター街のような通りを曲がると,道路は人であふれている。スタバのはす向かい,さらに雑多な通りに面して,サボイホテルはあった。

日本からのツアー客などはきっと見上げるような立派なホテルに泊まるのだろうが,個人旅行ではとても手がでないお値段だ。サボイホテルは,ガイドブックの「ソウルお買い物おすすめスポット♪」みたいな所のほとんどに徒歩で行ける,よい場所にある。にもかかわらず,ダブルが10万ウォン(1万円)からとリーズナブルなので,個人旅行の日本人には人気らしい。予約してくれたのはフーンだ。そう言えば,お盆休みにはまだ早いのに,ミョンドンを行き交う人々の会話の半分くらいは日本語のような気がする。でも,地下鉄からトランクをひきずってチェックインする日本人は結構めずらしいかもしれない。

ハナとスターバックスでお茶をして別れ,部屋に戻ったドレミとボクはもう欲も得もない。昼間っからばったりベッドに倒れ込んだ。出国前からの疲れがどどっと体をベッドにおしつける。

夕方目を覚ますとドレミが洗濯していた。煙草を吸おうと思って窓を開けたらものすごい騒音が飛び込んできた。わはー!下は歌舞伎町+センター街だった。人出はますますふくれあがり,道の中央には屋台が出てお祭り状態だ。

まだ3時半頃だったと思うが太陽は高く,路地を行く人の頭上に落ちている。東京とソウルでは経度にして15度弱違うのに時差はないから,太陽の位置は小一時間くらいおそい。あっと言う間に部屋に熱気がたちこめた。煙草は諦めて窓を閉めると洗濯を終えたドレミが後ろに立っていた。

「どっか行こう!」

えー!?このサウナのような雑踏の中を?…ボクはビル街の雑踏にとても弱い。結局,30分以内に雑踏を離れることを条件に,ボクは押しきられて本当に部屋から押し出された。

ミョンドンの商店街をぴったり30分ひやかして,歩いて行けそうなタプコル公園に向かって歩いた。小じんまりした公園だが,韓様式の立派な門がある。カメラアングルに気を取られてボクが門の敷居にちょっとつまづくと,ドレミはこおどりして喜ぶ。さっきミョンドンで目の前にあった30cmはあるコンクリの路柱にけつまづいてボクに叱られたからだ。


「やーい♪おんなじ♪おんなじー♪」

と笑いながら小走りに門内に入った彼女の背中が凍りついた。

そこは,三・一独立運動(1919年日本からの独立運動)が始まった広場だった。モニュメントに続いて,遊歩道沿いに独立への道のりをストーリー化したレリーフが続く。


日韓併合にはいろいろな意見があることは知っているが,少なくとも日本統治下の残虐行為は想像に難くない。しょんぼり歩くドレミにいかな罪があろうか。どんな目的があったとしても,侵略戦争は50年を経てなお人々の心に傷を残し,自国の旅人をさえ苦しめる。


そして同じ50年ののち,両国の政府は,同じような解放という名の侵略に参加して外国に軍隊を送っている。不思議すぎてボクはどうしたらいいのかわからない。ただドレミの肩を抱き,彼女を悲しませるものを憎む。公園にはいたるところヤブランが群生して,その濃紫が緑に映えて美しい。

夕暮れのインサドン(仁寺洞)通りを,ボクたちはさらに北へ歩く。たいていのガイドブックのトップを飾る町並みが美しい。


「指さし韓国語」を駆使して伝統喫茶のナツメ茶とユズ茶を楽しんだ。冷たくてとてもマシソタ(美味しかった)けれど,お茶じゃなくてナツメやユズのジュースなんですけど。


「朝食のご案内…ハムエッグ朝食1200円,大陸風800円,和朝食1600円」

 

サボイホテルのエレベーターの張り紙は,当然のように日本語だけで案内がある。ボクも名探偵ポワロのシリーズで読むまで,なぜコーヒーとパンだけの朝食をコンチネンタルと呼ぶのか知らなかったが,「大陸風」と書かれてコンチネンタルのことだとピンとくる日本人が何人いるのだろう。ホテルの送迎バスは「ミョソドソリムヅソバス乗り場行き」だ。ホテルばかりではなく,ミョンドンの町には,怪しい日本語の看板があふれている。なまじ日本語が話せる人が多いからなのかとも思うが,もしかしたら日本人が面白がるのを狙っているのかと勘繰りたくなるほどだ。メニューの下に(いじくりまわした牛肉)…これは韓英→英和と渡る間にこじれたものだろうか。

三日目の午前中,ボクはホテルのベッドでごろごろしながら地図やテレビを見て過ごし,ドレミは怪しい日本語の町に二度も果敢にくりだした。そして12時のチェックアウトぎりぎりにフロントに降りた。ハナとの待ち合わせは,向かいのスタバに12時だが,彼女が約束前に来る可能性はない。ボクらはフロントで,夜までトランクとパソコンを預かってくれるように頼み,ついでに一週間後の予約をした。

「その時期は日本のお盆にあたるので,料金が少しお高くなりますが…」

流暢な日本語で若い女性スタッフが答える。

「いくらですか?」

「2万ウォン(2000円)あがります。」

日本のハイシーズンに合わせた料金設定とはさすが日本通のサボイホテルだが,お盆休みの土日となれば5割増しと言われてもたいていの日本人は納得するというところまでは知らないようだ。

スタバのある通りで折り畳みの日傘を買った。日傘は,ドレミを写真やスケッチの点景に使うときの重要アイテムなのでボクが選ぶのだが,前日からずいぶん探しているのにイメージに合うものがない。ようやく見つけたそれは倍以上の値だったが,今日も炎天下なのでもう仕方ない。さっそく開いてみると柄にHanae Moriと書いてあった。

ようやく,ハナがまるでモデルのようにきれいな友だちを連れてスタバにきた。ドレミとはニューヨークで会ったことのある子で,バネッサという名だった。彼女は顔を見せただけですぐに

「See you(またねー)♪」

と手を振りながら雑踏に消えていった。彼女が今度の旅行のMIPになるとは,このとき知るよしもなく手を振るドレミとボクであった。

さて,地下鉄に乗ったボクらに,ハナは,フーンたちとは別の駅で待ち合わせていると告げた。

「こりゃ待ち合わせだけで日が暮れるぞ。」

「ふふふ」

ドレミにとっては,時間にルーズな彼等との待ち合わせすら懐かしいらしい。待ち合わせの駅の地下改札口にはハナの親友だという初対面の女の子が待っていた。どうやら時間にルーズなのは韓国の若者みんなに共通というわけではないらしい。ハナの携帯に,ジョーとフーンからさかんに現在位置を知らせる電話が届く。

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