05/モルゲッソヨ!

Aug, 2004

真夏の夜の高速を南に向かう。海外でドライブするときは,できるだけまず高速道路を走ることにしている。交通ルールが単純でおよそ万国共通だからだ。そして,標識の表示などに慣れたところで町を走って,細かい交通ルールをチェックしていく。町でまず確かめるのは,交差点の右折可の有無である。

対面の信号が赤でも右折車が徐行しながら進行することを「右折可」という。日本では原則禁止(もっとも日本では左折)だが国によってOKのところも多い。韓国はOKだ。同じ国でも,例えばアメリカのロサンゼルスやシカゴは可だったが,東側のニューヨークやボストンは不可だった。右折可の交差点の右折帯で信号待ちすれば,追突される危険性がある。

他にも点滅信号の意味や左折のタイミング,道路の優先関係の示し方など国や地方によってまちまちなので,慣れるまでは,なるだけ先頭にならずに前の車の動きを見て覚えていく。

細かい交通規則より大事なのは,ドライバーのローカルマナーだ。合流のタイミングや優先関係,あいさつなど意志表示方法,歩行者との譲り合い点など,その国その地方でドライバーはマナー以上規則以下の不文律を持っている。とくにプロやベテランドライバーはそれを規範にしてスムースな「流れ」を作っているのである。場所によって微妙に違うそのニュアンスを速やかに理解して「流れ」に従うことが,安全運転の絶対条件だ。ただゆっくり走れば安全と考えるのは,自己中心的な危険運転である。

ソウルの東から高速に乗って15分,通常なら余裕も出てきてビデオを回したりする頃だが重大問題が発生していた。東京から持ってきた韓国道路地図である。高速道路のナンバーが全て実際と違っている。発行年月日が2001年。おそらく2002年のW杯前に,大規模な道路整備が高速を中心にあったのだろう。それにしても番号の一致する路線がほとんどない。

だが,それだけならボクらにとってさほど問題ではなかった。重大問題なのは,地図もガイドブックも「漢字+アルファベット」なのに対して,標識は「ハングル文字+アルファベット」だったことだ。地図のアルファベットも小さいが,標識のそれも小さく,読み取れるのはかなり近い距離まで来たときだ。しかも以前にも書いたが,韓国の漢字の発音は複雑で,アルファベット表記はアメリカ人でも読めない。Gonguは公州でGwangjuは光州,Daejeonは太田だしDaeguは大邸(テグ)のことだ。高速走行中に読み取るのは困難である。

ハングル文字を読もうと思った。読むというより識別できればいい。もともとチェコ語やハンガリー語の地名だって読めたわけではなく,適当に英語読みしたのだ。ドライブの間だけだから,二人だけに通じればいい。次の看板はハングル文字の方を見た。無理だー!ボクらがもしチェコ人だとしても,漢字やひらがなならまだ「形」というものがある。しかしハングル文字は子音を表す「へん」または「かんむり」部分と母音を表す「つくり」の部分が二つないし三つ組合わさってできている。ひとつの単語の中にも同じ「つくり」や「へん」があちこちに現れ,一つ一つの文字には形として認識できる個性がない。かくて世界で最も合理的で覚えやすいと言われるハングル文字が,勉強していなかったボクたちには凶器となって襲いかかってきた。

折しも道路は首都の環状線を迎え,地方に向かって次々に枝分かれ始める。ジャンクションではぐるぐる360度回されるので,人間ジャイロスコープと言われるボクの方向感覚も振り回される。カンで進路を選ぶのも限界にきて,路側帯に屈辱の非常停止をしようとした刹那,

「右に行って!」

ドレミの冷静な声がした。

「マル,クチ,カギ,オノレ!合流したら左方向だから,いっきに車線変更」

「ら,らじゃ(了解)」

「ボー,マル!この車線でしばらくOK」

進化している!我がナビゲーションシステムはパニックの中で静かに進化していた。思えば,ドレミが17才で専属ナビになったときは,地図を進行方向に合わせてクルクル回す典型的な方向音痴だったのだ。それが,一緒に旅するうちにどんどん進化して方向音痴は後天的な訓練で治癒することを証明した。

「やるなあ。道,あってるよ。ところでマルとかオノレって何?」

ハングル文字を全部読むのはムリなので,とりあえず下の部分の形だけ読んでいるという。なるほど「○」「フ」「己」!

おそるべき,ドレミナビのおかげで無事スーオン(水原)インターを下りたボクらに,さらなる試練が待っていた。町の看板やネオンもすべてハングルだったのだ。さすがにHOTELやMOTELの文字はアルファベットだろうと思っていたボクらは面食らった。ハングル文字の表記能力は高く,モーテルも旅館も二文字で書ける。ヤングなんて一文字だ。しかし,それが読めない外国人にとってはかなりきびしい。町を一度通り抜けてしまったところで,ボクらはハナが書いてくれたメモを取りだして,旅館とモーテルを意味するハングル文字を暗記した。いちばん最初に覚えた文字が「モーテル」だという外国人はボクたちだけであろう。

中心街に一つだけ「HOTEL」と英語のネオンがあがっているのは,ガイドブックにも乗っているホテルキャッスルだが一泊3万9千円もする。値段もだが,このようなホテルを利用するのは漂泊の旅人としてのプライドが許さない。心の師,西行先生も許すまい。ボクは慎重に来た道を戻った。夜の市街地を走行するには,まだ運転慣れていない。三叉路や五叉路で先頭になると後続車に譲らないと進めない。

「あー!クチ,ウエ,イー,オノレ!」

ドレミがモーテルのネオンを発見した。強引に左折すると,駐車場の入り口に日本と同じビニールシートの暖簾が下がっているではないか。

「まちがいない」 

ボクらは思い切って車をビニールシートにつっこんだ。果たして内部も日本とそっくりだ。

「よかった。さすがに疲れた。」

「きょうも一日よく歩いたものね。」

ドレミがいそいそとフロントへ向かう。が,試練は終りではなかった。フロントの若いお兄さんは全く英語が通じなかった。英語どころか「stay」などの単語すら通じない。ステイくらいボクのおふくろでもわかるぞ。しかも若者なのに!韓国の義務教育はどうなってるんだー!指さし韓国語の登場だ。

相手から質問。

「りょこうしゃ…です…か?」

って,当たり前じゃん。言葉の不自由な外国人カップルがトランクひきずってお忍びの休憩に来ると思うかよ!…なんていう指さしはない。

「ネー(はい)。こんや…いっぱく…へや…あいてます…か?」

「さん…まん…うぉん…です」

たったこれだけのやりとりに15分。ようやくベッドに体を投げ出した。なかなか小ぎれいで部屋もお風呂も広い。日本なら立地,設備から見て1万円ちょいくらいのモーテル。もし3万ウォン(3千円)が相場だとすると,あのホテルキャッスルの350ドル(3万9千円)は12万円にも相当する。いったいどうなっているのだろう。

ノートを起ちあげて,カメラのCFカードにある画像をHDに移動する。今日は市場や王宮で700MBもシャッターを切っていたので時間がかかるが,空にしておかないと明日は写真が撮れなくなってしまう。3種類の電源アダプタと2種類の対応コードを持ってきている。どんな田舎に泊まってもPC作業やカメラの充電が可能だ。もちろん車の12V用変圧アダプタもあるので,キャンプだろうと車泊だろうとどんと来いである。

ドレミはもうバスタブで洗濯をはじめている。ときどき呼ばれては洗濯物をバスタオルでぱんぱん叩いて乾かし,エアコンの風が当たるように干すのがボクの分担だ。

ソウルのサボイホテルもそうだったが,クーラーやテレビのリモコンもハングル表記だけなので,ON,OFFすらわからず,あてずっぽうで操作している。ふと,皮表紙のホテル案内を開いてみたが,案の定,電話番号らしい数字しか読めなかった。


目次へ06/ミアナームニダ!へ