06/ミアナームニダ!

Aug, 2004

ふだん,朝は寝床でぐずっているのを,ドレミが3回くらいに分けて根気よく起こしてくれる。ところが旅先ではいつもボクの方が早い。スーオン(水原)の朝も当然ボクがまず起き出し,クーラーを切って窓を開け放った。朝食は前夜コンビニで買っておいたサンドイッチと缶コーヒー。スーオン(水原)華城は,李朝22代正祖が1796年に漢城(ソウル)からこの地に都を移そうとして築いたものだ。彼の死によって遷都計画は実現しなかったが,城壁は日本軍の侵略を免れて現在に残り,世界遺産に指定されている。

ゆうべうすうす気付いていたが,モーテルを出てすぐに,この町でも地図が役に立たないことがわかった。スーオンはW杯開催都市の一つで,道路も根こそぎ新しく整備されたようだ。モーテルから近い城壁の南端にあたるパルダルムン(八達門)を目指した。左折するつもりが,地図にないオーバーパスに入って町の北端まで運ばれてしまった。右手に巨大なスタジアムが見えてきた。果たして2002年W杯グループリーグでロナウドが2ゴールを決め,決勝トーナメント1回戦ではスペインの黄金世代が激戦を制した会場だった。その前にある大きな市街地図を二人で暗記する。パークというハングル文字を解読したが,駐車場なのか公園なのか定かでない。


思いきって中心方角に走ると,いきなり城壁をくぐって視界が開けた。ちょうど北端の内側がすっぽりと芝生で整備され,広い駐車場がある。どうせ一周歩くのだから,どこからスタートしても同じだ。車を降りるとあまりの熱気に目がくらんだ。


空はかすかに薄曇りだが太陽は容赦なく地面を焦がす。薄い雲はかえってビニルハウスのように盆地の熱気を包みこんで風はそよりとも吹かない。苦行の予感がしてきた。北東に位置する蒼龍門の前で逆さにペットボトル立てて倒れるのを待つと南を指した。

「時計回りでーす。しゅっぱーつ!」

三脚を担いで歩きだす。

「お,おー!」


運命を受け入れるかのようにドレミが続く。堤防に似た高台に石の城壁がえんえんと続く。堤防と違うのはどちら側にも川が流れていないことだ。


所々に楼(やぐら)があがり,銃眼が壁の外側を睥睨している。はじめのうちは,楼ごとに写真やビデオを撮ったり案内版を読んだりしていた。


しかしキリがないのでいつの間にか小さな楼は素通りになった。この日の異常な陽気のためだろう。戸外にはほとんど人影を見ない。日光をさえぎるものとてない高台の一本道をひたすら歩く。右手はるか,町をはさんだ向い側に小山がかすみ,その尾根づたいに点々と楼や石壁が見える。あれが帰り道なのだろう。


「今日も山登りでーす♪」

ドレミが笑いをこらえながらビデオに話している。まだその登山口すら遠いのだ。


公園や民家の垣根に槿が満開で,うす紅色が目にやさしい。韓国の国花だ。真夏の陽射しの中で汗をぬぐい,ほおをほてらせる少女のように凛と咲き続ける槿をこの国の人はとても好きだ。桜の花と色相や明度はとても似た色なのにその風情は対照的だ。


大国の驚異にさらされながら,大陸の東端の半島に辛抱強く国を存続させてきた民族らしい。

一時間半ほども歩いただろうか。城壁の丘が崖のようにとぎれ,急な階段が市街地へ下りていた。その先に八達門が見える。最初に車で目指した場所だ。さらにその先,近くなった小山に白く縦に帯が見える。目を凝らすと石の階段だった。


町から真っ直ぐに山頂付近まで続いている。ちょうど金比羅さまの石段のようだ。こちら側の崖から見ると,いったんすりばちの底に下りてからまた登るイメージになる。


呆然とするボクの横を,またドレミが

「すごい階段でーす♪」

とビデオに話しながら,こともなげに階段を下りてゆく。彼女とボクでは受けている重力が倍近く違う。


町に下りてしばらくすると,今度は一直線に駆け出した。行く手にサーティワンがあった。ハーゲンダッツは珍しいが,サーティワンはたくさん見かける。


アイスを交互になめながら,石段の下に立った。石段と言っても,モダンな公園に整備されている。陽射しはいよいよ強くコンクリートに眩しく反射して,視界がホワイトアウトしそうだ。


のろのろと,30段も登ってはあえぎながら休憩し,ようやく中腹まで来ると,観光道路と交差した。どうやら山頂近くまで車でも行けるらしい。木陰にあるバス停のベンチで大休止したあと,再び山頂を目指した。まわりが林になって,影にならないまでも少しはしのぎやすい。尾根に出てなおもだらだら坂を登ると,ようやく大きな坂の先に最高所の西将台が見えた。

大坂を登りきれずに途中のベンチにへたりこんだ。「世界遺産」と彫られた真新しい石碑があり,横道から観光客らしい一団が登ってきた。さっきの観光道路を利用すればこの下の駐車場まで来られるのだろう。涼しい顔で前を通りすぎていく。15分もへばっていただろうか,再びあたりに人気がなくなった。ボクたちが登り始めたのに気付いて,楼の衛士が慌てて靴を履き,暑さにはだけていた衣装を正している。さすがにこんな日は暇すぎて人恋しくなってくるのではといらぬ心配をしてしまう。王宮のときと同じくコワモテを作りカメラに向かって剣をふりあげてポーズしてくれる。そして楼の周りを絶妙な点景になりながらのっしのし歩き回る。

「ボクらだけのために何だか悪いね」

「休んでくださいって言おうか」

という雰囲気だったが,駐車場から何組か人が上がってきてくれて助かった。

小さな展望台に三脚を立てて記念撮影しているときに男の人が階段の下に現れ,20秒か30秒ほどだったか,セルフタイマーの下りるのを待つ形になった。ドレミは駆け降りながら

「ミアナームニダ(ごめんなさい)」

と声をかけ,ボクは

「カムサハームニダ(ありがとう)」

と会釈しながら,三脚を担いだまま階段を数段飛んだ。実際,ボクらの会話力はこれが精一杯で,あとは体で急いでいることをアピールするしかなかったのだが完全に無視されてしまった。

その人が日本人だとわかったのは,下山しようとしたときだった。

ボクたちは間違えたら大変なので,金属の標識に書いてある文字を読もうとしていた。

ビデオを回しながら,やれ「モーテルのモの字がついてる」とか「このつくりはングだからきっと門だぞ」とかきゃーきゃーやっていたので,ボクらが日本人だとわかったのだろう。さっきは無視していた例の観光客が,急に親しげに引き返してきて,

「ご旅行ですか。」

と横に並んだ。

「はい。」

さすがのドレミも少々鼻白んで答えた。ボクは苦笑しながら

「ゆうべレンタカーでソウルから来て,今朝から城壁を一周してます。お二人もレンタカーですか?」

と継いだ。

「ええ。運転手つきのですけど。韓国は仕事でもう5回目なんですよ。」

彼は眼下のマンション群を指し示しながら

「地震が少ないので高層ビルが多いですね。」

と言った。

「なるほど,地震が少ないからなのですか。」

「わたしも今回は初めて妻を連れてきたので…」

と少し離れたところで待っているキレイな女の人の方をちらりと見た。

「…レンタカーで遠出してみたんです。いつも取り引き先の人が案内してくれるのは,ソウル市内ばかりなもので。」

どうやらボクたちの「ミアナームニダ」は韓国通の日本人にも通じなかったらしい。階段の下でも悪気があったわけではなく,意味不明の言葉に戸惑ったのだろう。

「それではお気をつけて」

と日本人は爽やかに言った。

「どうぞ,よい旅を」

「ありがとう」

駐車場に向かう彼らを見送りながら,ふと,ロッテホテルの豪華なロビーを思い出した。

いろいろな旅があっていい。こんなうだるような日に華城を歩いて一周しているのはきっとボクたちだけだろう。彼らもずいぶんと酔狂な日本人夫婦に出会ったと思っているかもしれない。

酔狂な二人は踵を返して華西門への道を下り始めた。

平安門の見えるロッテリアで遅いお昼を食べ,コンビニで買ったペットボトル飲料も香りの良い緑茶にあたった。不思議なもので,炎天下を歩くのに体が慣れてくる。気温はさらに上がっているのに,午前中ほどは辛くない。城壁は町を左右に分けながら美しい緑の丘を作って続く。道路をまたぐ石橋の日陰で数人の男が将棋に興じている。


「車道じゃん。」

と思わず声に出す横を車が彼らを避けながら通りすぎた。近づいてみるとなるほどひんやりと涼しい。

何だかいい風が吹き抜けた。熱戦をそっとのぞきこむと,駒は平たい円柱形で漢字が書いてある。ちょうど和菓子のらくがんを思わせるような白い色だった。貝よりも石に近い質感で,材料を聞いてみたかったが,たぶん親切に教えてくれるであろう韓国語に立ち向かう体力がもうなかった。

小山を登ると町は途切れ,一面緑の盆地を見下ろす丘に立った。その底に出発した駐車場が見える。尾根づたいにあと二つ楼を回れば完全制覇だ。足取りも軽く…と言いたいところだが,槿の植えられた丘に,午後の陽射しは容赦なく降り注ぎ,結局,盆の縁を半周するのに30分以上を要した。


バスの左上がスタートした蒼龍門右奥の小山が八達山です

駐車場に戻ったボクたちは,うち水してるおじさんのホースを借りて頭から水をかぶり,車のクーラーを全開にした。日陰のない駐車場に停まっていてはエアコンも効かないので車を出すことにした。


次の目的地はコンジュ(公州),明るいうちに移動できそうだ。

スーオンからは,まずソウルとプサンを結ぶメインの高速道路を走る。プサン方面へ向かいながら,SAでゆっくり地図を確認すればいいだろう。プサンとソウルのハングル文字を復習しながらインターに進入したボクたちは,料金所の先の標識を見て青ざめた。

方面を示す文字はソウルでもプサンでもない。インターでは,右の進入路が必ずしも右方向の本線につながっているとは限らない。左右どちらにも行けるように10個近くあるブースの中央を選んでしまっているので料金所を抜けてから車を脇に寄せるのは不可能だ。ボクは料金所でチケットを受け取るやいなや両方向を(どっち?)と指さしながら

「プサン?」

と叫んだ。通じない。ブースのお兄さんはきょとんとしている。

「ブサン!」「プゥーサン!」「フザン!」

ボクは思いつく限りの発音を叫び続ける。ただならぬ様子にお兄さんもブースから乗り出して耳をすませながらようやく左の道を指さした。

間違っていた。本線に入るとすぐに「ソウル中心○km」の標識。「ミアナームニダ」はともかく「プサン」くらいは通じてくれよぉ。ボクはすっかり発音に自信をなくしながら,サービスエリアで地図を見て次のインターで引き返すことにした。

「わはー,これもまた一興」

個人旅行ではハプニングや失敗をセルフコントロールで「一興」に変えて楽しむことがいちばん大切だ。

「いい土産話ができたねー」

などと笑顔で話しながら,ドライバーとナビゲーターはそれぞれ自分のミスの屈辱に耐えていた。

それでもインター出口で鮮やかなUターン(たぶん違反)を決めて南下し,再びスーオンが見えた頃には二人ともすっかり元気になった。スーオンインター付近で激しい雷雨に見舞われた。日中の気温と湿度では,この猛烈な夕立も不思議ではない。

この盆地から上昇気流に乗って巨大な積乱雲が立ち上っているだろう。メインの高速から南西に分岐すると,道路はやけに新しく,予感通り目的地の公州から先は建設中だった。ギムガン(錦江)の巨大な橋を渡ったところで先細るように高速が途切れた。町外れにあるコンジュ(公州)南インターもできたばかりで,標識は木製の仮看板にハングル文字のみ。コンジュ市内方面より工事車両出入口の矢印の方が大きかったりする。

高速から遠望した町の様子と西日で方向はわかったが,地図の市街図のどのあたりから町に入ったのかわからない。この日は,旅館街というエリアで韓式旅館に泊まろうと企てていた。

夕方の渋滞する中心街を抜けたところで高校を見つけた。高校生なら英語がわかるかもしれないということになり,歩道を歩いていた女学生に声をかけた。二人の女子高生は

「きゃー!!どうしよう!どうしよう!英語で話しかけられちゃったー!」

の反応から,単語を必死に並べて何とか会話しようとする様子まで,日本の女子高生と同じだった。

旅館街はおろか漢字地図上の現在地もわかりそうにない。尚も真っ赤になりながらがんばる二人を,ドレミがなんとか落ち着かせようとしている。職業病だ。


ボクは待ちくたびれてふとガイドブックに目を落とし,石門の写真を見て驚いた。それはさっきくぐった門だった。なんのことはない。ボクたちは町のシンボルの門から入って,公山城の前を曲がり,旅館街エリアを通過していたのだ。標識と地図ばかり見ていて気づかなかった。


旅館はシステムも部屋も駐車場のビニルすだれもモーテルと変わらなかった。日本なら「ビジネス旅荘」といったところだ。どれも同じようなものだったので,レンガ門に近くて安いところにした。ダブルで25000ウォンは2500円だ。さあ,知らない町に繰り出そう。

まずは町外れの食堂で

「コンジュ(公州)名物ソモリクッパプありますか?」(もちろん指さし韓国語)

「オプソヨ(ありません)」

あとでわかったことだが,その店はチゲの専門店だったらしい。

町の中心街は夕方車で迷った範囲がすべてだった。ボクたちはコインの使える公衆電話でジョーに電話し,パン屋さんで明日の朝食用のサンドイッチを買った。

韓国に来て初めての二人だけの晩餐はいろいろ迷った。クッパプ(おじや)のありそうなディープな食堂からかなり怪しい和食の店まで,ドレミは精力的にメニューを読んで回る。

「さっきのチゲ屋さんに行こう。」

ボクがそう決めたのは,そのお店の女性が八ヶ岳で知り合った花農家の奥さんに似ていたからだ。容姿もそうだが,小気味よく立ち回る様子や話し方が似ていた。レストランも大衆食堂もピークの時間を迎えているので,言葉のわからない外国人旅行者は上客とはいえないだろう。

「ミホコさんなら大丈夫な気がする。」

チゲ屋さんに戻る道々,すでに名前を借りて彼女をミホコさんと呼んでいた。果たしてミホコさんは戻ってきたボクたちを見て一瞬たじろいだが,ほんとうに「くるり」という感じで一瞬にして事情を察し,中央の席に案内してくれた。「指差し韓国語」の食事のページを見て,「チゲ」「豆腐」「もやし」を指差した。

「ソウジュ,ハナピョン(一本)」

は通じた。「ハナ」は「ひとつ」のことで日本語の「ハナから~」の語源らしい。

余談だが,旅行中にアテネ五輪が開幕してテレビでは韓国人選手の活躍を連日中継していた。柔道の競技用語は日本語が国際ルールでも使われている。「rei(礼)!」で始まって,審判も「wazaari(技あり)!」とか「shido(指導)!」など日本語でジャッジする。ある夜,中継を見ていたら,韓国人選手が鮮やかな小外刈りを決めた瞬間,アナウンサーが

「はなぽーん!!」

と,絶叫した。韓国では漢字が使われるだけに,世界ルールの発音はかえって難しいようだ。

か,辛い

待つこと10分ほどで出てきたのは「豆腐チゲ(約600円)」と「もやしチゲ(約350円)」だった。シルバーの容器に入ったご飯とキムチの小皿がいくつかついている。半分ずつ食べようと思ったが,豆腐チゲの方はスープが激辛でドレミにはちょっとムリだったので具だけをやりとりした。活気のある広い食堂の中央で,ソウジュを酌み交わすのは至福の時間だった。ボクは今,もう一度行ってみたいレストランを聞かれたら,このチゲ屋さんを選ぶ。旅の味覚とはそうしたものだ。

チゲは注文を受けてから一つ一つ小さな鉄鍋を火にかける。ときにはそれが5つほども並ぶときもある。板の間の座敷では,二組の客が鍋を囲んでいて,お酒や一品料理を注文するが,ミホコさんはそれを一人で切り回している。次々と学生や若い男が来て思い思いのチゲを注文し,大盛りごはんをほおばる。どうやらチゲは日本のしょうが焼き定食の位置にあるようだ。ボクらは忙しく走り回るミホコさんを呼びとめて

「マシッタ(おいしい)」

と言った。彼女ははじけるように笑っていた。ひとりで忙しそうにしてるのに途中で悪いなあと思ったけど,まだその頃ボクたちは「マシッタ」の過去形を知らなかったのでお会計のときでは具合が悪かったのだ。

旅館までの帰り道,ほろ酔いでボクは

「知ーらない町を♪旅してみーたーい♪」

と歌う。旅先のこんな夜の十八番だ。永六輔さんの歌が直訳されて世界中の人に歌われる理由がわかる気がする。その詩がはっきり意味として誰の心にも共感されるからだろう。

「どーこか遠くへゆきたい♪」

この日も風呂でお洗濯


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