10/オンチョン!

Aug, 2004

予定していた目的地を全て回った。レンタカーを返すのは翌々日の夕方なので,ソラクサン(雪嶽山)に足を延ばすことにした。ソラクサンはソウルにとってのリゾート地にあたり,むろん大観光地だ。山の景観もさるところだが,観光地ぎらいのボクにとっては,むしろ慶州からソラクサンまで,日本海沿いをまっすぐ北上する道程の方に魅力があった。

ジョーたちと別れて,その途についたボクは少し体調がすぐれない。豪華昼食のメニューが原因の胸やけのような症状である。そう,パクパク食べたあのチャーシューのような肉は,今にして思えばトン足であった。もちろん,毎日,炎天下を歩き回った疲れで体が弱っていたこともあるだろうが,ボクはどうも慣れない動物性の油に弱い。


海に向かって国道より立派な道路が出ている。三恵海洋公園という大きなゲートをくぐって,岬の先端に行くと,崖下にドンハエ(日本海)を臨む大きな駐車場に出た。海と反対の側には食堂やモーテルが並んで,この広場を中心に展望台や野外ステージ,ホテルなどが点在している。


何とはなしに,その雰囲気が気にいったし,疲れていたこともあったのか,明るいうちにチェックインして散歩したくなった。中程度のこぎれいなモーテルを選んで,少し休んだあと,広場をぐるりと散歩する。海とは反対の空が少し夕焼けして美しい。

駐車場にあった電話ボックスからめずらしくフーンに電話がつながった。フーンはジョーと従兄弟の関係で,この地方に親戚が多い。この町もお父さんの実家があるそうだ。

「え?クラップ?」

ドレミが大きな声で聞き返す。

「クラップって何かしら。ええ,食べてみる。」

 

韓国人のBの発音はPに近い。「ほら,ブックのBだよ。」と言われても日本人にはプックにしか聞こえない。もっともアメリカ人やイギリス人が聞いたら,どちらが英語のBに近いのかわからない。

「クラブ(蟹)じゃないか?」

電話を切ったドレミにそう言いながら,ふと回りを見て驚いた。ずらりと軒を並べた食堂はすべて蟹の専門店ではないか。店先にいけすや水槽があるのには気付いていたが,よくみると中には大きな蟹がいっぱいだ。

漁場は日本海,してみるとみんな越前蟹の親戚ではないか!値段は,正確にはわからないが半値以下であることは間違いない。すわ!生涯一度の「蟹づくし」チャンス!…ところがである。ボクもドレミも昼の鍋とトン足がまだ消化器を支配していてどうしても食欲がなかった。3kmほど離れた町まで行き,閉店間際のパン屋さんでサンドイッチを買った。ボクらの宿の1Fも,もちろん蟹専門店で,家族連れやカップルが豪快に殻を割っていた。つまり,この広場に面したモーテルは,遠路,蟹料理を楽しみに来る人々の宿泊施設で,いわば蟹料理民宿といったところなのだ。

宿でスケッチに着彩

もし再訪することがあれば,昼を抜いてでも蟹三昧しようと誓いながら,ボクらは缶ビールでパンをかじった。テレビから日本語が流れてきた。字幕スーパーで信長のドラマが放映されている。若き秀吉が活躍しているが,問題ないのだろうか。

また朝からうだるような暑さになった。期待していた海沿いの道は,本当に6~7年前の新潟,山形あたりの風景とそっくりだった。車道の左右が違うだけで,まるで日本海に大きな鏡を立てて覗いたようだ。そっくりすぎて,カメラもスケッチブックも出番がない。ひたすら北上するだけになってきた。クーラーが利かないほどの暑さとまだしっくりしない胃腸が気力を奪う。

和食とは何だろうかと考える。韓国料理というと真っ赤な唐辛子を連想するが,唐辛子は日本から韓国に伝わったことはあまり知られていない。実はボクも帰国してから,知人に聞いて知ったのだが,一説には韓入りの際,催涙兵器として秀吉軍が持ち込んだとも言われているらしい。

実際はそれより少し早い時期からの存在が明らかにされているとのことだが,南蛮船で九州に伝わり,博多経由で朝鮮半島に渡ったことは諸説一致している。

もっとも,秀吉は織田軍の将士だったころから,ニンニクに目をつけ,決戦の前は全軍に給食したそうだ。兵士の健康や兵糧にとても気を使っていた秀吉軍が,遠征先での食糧の保存や強壮効果を期待して,ニンニクとともに新しい香辛料を積極的に採用していたことは想像に難くない。案外,チゲ鍋のルーツは秀吉軍の陣中食が起源だったりするのかもしれない。

ところで,この唐辛子とニンニクを除くと味のベースは魚介類か豚,鶏,それにナツメや椎茸,高麗人参などをふんだんに使った出汁だ。その豪華さは例えば寄せ鍋終盤のスープに近い。

ハナによれば,大衆食堂や家庭料理のちょっとした汁ものにも,この豪華出汁が使われる。スーパーに行っても,インスタントだしがあまり売られていないのは,化学調味料で再現するのが困難だからだろう。ところが馴染みの材料を贅沢に使ったはずのこの出汁が日本人には合わない。

違いは「香り」にある。韓食のスープはぐらぐら煮立てる。食卓に出てくるときには,焼けた鉄や石の容器ではねていることさえある。「香り」はこのときに芳醇に漂う。和食では違う。口に入れる刹名に鼻腔で感じるのだ。考えてみると,これは世界的に見て,日本の方が特殊だと言える。数秒で掬い上げるかつおだしや煮立つ前に引き上げる昆布の風味なんて,日本人にしかわからない。出汁は徹底的に煮込んで,イタリアならにんにくやバジリコ,フランスならバターや生クリームで,そして韓国ではジャンと唐辛子でえぐみを消すのだ。よい香りと味は搾り出されるが,中間の「風味」は失われる。日本人が神経質といえるほど,この「風味」にこだわるのはなぜだろう。

白米と清酒が原因ではないかとボクは思う。日本産のコメの味と風味が抜群なのには異論がないだろう。ボクの知る限り,日本人向けに栽培されているカリフォルニア米がかろうじて追随する以外,外国産米の品質ははるかに低い水準にある。要するに米のクオリティのために,ご飯も清酒もそれじたいがうますぎるのである。脇役たる「おかず」や「さかな」の味付けは,素材の味を残すとともに,ご飯や清酒の味を邪魔せずに引き立てるシンプルなものになってゆく。そして「香り」や「風味」に対する繊細で独特の味覚へと発展したのではないだろうか。生醤油の香り,おろしたてのわさびの風味。外国人にとって,それは味,あるいは匂いとしては理解されるが,鼻をくすぐる風味としては知覚できない。そもそも調べたわけではないが,「風味」などという(flavorとtasteの中間にあたる)不思議な言葉は日本語にしかないだろう。

風味と醤油,味噌のシンプルな味付けの菜でご飯や清酒をいただく…それが現代の和食の原点だとすれば,白米や清酒が庶民の口に入るようになった江戸時代中期以降ということになる。チゲ鍋の方がちょっと先輩だ。本場の韓国スープは,日本の焼き肉屋さんなんかで食べるものとはコクがちがう。しかし銀の容器に入っているご飯はお世辞にもおいしいとは言えない。と,言うより,あまり米のクオリティを問題にしていないフシがある。甘い舌ざわりのソウジュも焼酎独特の軽い酔い心地というだけで品質はほぼ均一だ。ワインや清酒の文化とはほど遠い。世界標準だが,料理が主でご飯や酒は従なのだ。

退屈なドライブのために強烈な眠気が襲ってきた。ドレミがすばやく見つけたドライブインの駐車場に滑り込むと,日陰を探す余裕もなく炎天下にクーラーをかけたまま,リクライニングしたシートで深い眠りに落ちてしまった。

目がさめて暫く自分がどこにいるのかわからなかった。窓の外は灼熱のドライブインで,エンジンが低くうなっている。体を起こすと建物の日陰で文庫本を読んでいるドレミが目に入った。彼女が気付いてこちらに走ってくる間にようやく頭が覚醒した。

「ねえねえ,何か食べない?お店ぜーんぶ調べてきちゃった。」

見るとお店といっても中華まんのようなものや揚げ物を売るスタンドが数件並んでいるだけで,あとは建物の中にセルフサービスらしい食堂があるだけだ。調べると言っても,5分もあれば見尽くしてしまう。その後,たいした時間ではないかもしれないが,車に戻るとボクを起こしてしまうと思い,日陰で待っていたのだろう。手に持ったアイスコーヒーのプラスチック容器の中で,氷がすっかり溶けている。

店の前を歩きながら,一つ一つ食べ物調査の報告と味の予測をしゃべるドレミをさえぎるように

「オレもコーヒー」

と不機嫌に言った。ドレミは一瞬,目を丸くしたが,身を翻し,端っこにあるドリンクショップに駆けていった。ボクはいつでもハイテンションでアイデアや行き先をどんどん提案していく。ドレミはそれを取捨選択してスケジュール化する。それがボクらの旅だ。

疲れて萎えそうになるのを,ドレミに気遣われている自分に苛立っていた。何とか精神力で元気を取り戻さなければ…。アイスコーヒーを受け取ると先に立って食堂に入った。カウンターの上に大きくメニューの写真が出ている。文字の読めない外国人にはありがたい。ふと,その一つに目が止まった。

「あのうどん,和風に見えないか?」

「まさかあ」

ボクは三角布をしたお姉さんを手招きした。お姉さんはカウンターの内側から身を乗り出して,ボクの指差す写真を見ると頷いた。生めんをざるに取ってしゃかしゃかと湯がく。湯気のあがるめんを丼に移し,野菜の天ぷらを載せる。金属製のボイラーのような巨大な機械から出ているホースを持って蛇口を開くとコハク色の液体がどんぶりを満たした。あたりに醤油の香りがふわりと漂う。カウンターでもみ海苔をどっさり盛って,お姉さんがヨコの箸たてを指差した。うずうずと待っていたボクは,

「カムサ!」

と金属製の箸と丼を持ってお釣りを受け取ると,掻き込む構えのまま屋外の席に飛んでいった。

ドレミがどこで見つけたのかキュウリと人参だけののり巻きを買って待っていた。まず,丼を両手に持ってすする。鼻腔をくすぐるそれはまさしくかつお出汁だった。マシーンの中で,煮立たぬよう管理保温された透明な汁は海苔の風味とよく馴染んでいる。和風うどんとなればこれが正しいマナーだと,ボクは丼を持って,さらに一口含みごくりと飲み込んだ。小腸で柔毛がざわめくように吸収すると,全身の毛細血管にそのかぐわしい香りが広がっていくのを感じた。

腹から力がこみあげてきて笑いたくなる。「やれやれ」という視線をちらりと投げながら,ドレミが乗り出して,うどんを一本,ふーふーちゅるっとすすった。

二人が夢中で,かわるがわる海苔巻きとうどんを食べていると,俄かに強い風が海岸段丘の上から吹き下ろし始めた。はて,こんな時間に陸風が吹くとはと,考えている間にみるみる空も曇ってきた。降りそうだ。回りで露天の商品を片付けはじめる。ビーチから人が引き上げてくる。ボクらも汁を最後のひとしずくまですすって,車に戻った。駐車場の入り口に「38」と書いた巨大な塔のような看板が立っている。ドライブインの名前だと思われるが妙にでかい。はっと思って地図を見ると

「やっぱり」

「え?」

「北緯38度だよ。ここが。」

それまで韓国と北朝鮮は38度線で一直線に仕切られているものだと思っていた。しかし実際の国境はもっと北で,地図を見る限りでは一直線というわけではないようだ。そもそも韓国では公式に国境を認めていないのだろう。地図も北朝鮮の部分を示しておらず,何となくそこから北のページだけがない。38度線を越えて走るボクたちのSM420のフロントガラスを雨がたたき始め,やがて土砂降りになった。それまでに遭った局地的な上昇気流による夕立と違って,猛暑の終りを告げる雨だ。

「どうする?」

ドレミが助手席で日本語のガイドブックを開いている。目指す雪嶽山は真っ黒な雲の中だ。

「国境監視所を見学できるみたいだけど行ってみる?」

「いゃ…」

この国で最もセンシティブな場所に,歴史すら勉強していない外国人が観光で踏み込むのはいかにも不謹慎な気がする。

「ん…」

ドレミも同じ気持ちなのか,答えを予想していたらしく,もう他のページを探して苦慮している。しかし,かつお出汁パワーで復活したボクはさっきまでのボクではない。

「オンチョン(温泉)に行こう!」

ボクたちは若いときからけっこう秘湯マニアだ。北は十勝岳から南は鹿児島まで,湯治宿や河原の大露天風呂,波打ち際の岩風呂など50湯はゆうに越えるだろう。ソウルを発ってからずっと,うだるような暑さだったので,ここまで温泉は素通りしてきたが,雨が降って涼しくなれば,韓国の温泉をボクたちの入湯キャップに加えるのにやぶさかでない。首尾良く行けばハンガリー,オーストリアに続いて3湯目の外国キャップとなる。

「なるだけ交通の不便そうな秘湯をさがすぞー。」

「うん♪」

旅先で土砂降りの日の楽しみを見つけるのもボクらの得意技だ。ドレミの見つけた温泉は雪嶽山の登山口をちょっと外れたところにある。オンドルと木の湯小屋の一件宿が目にうかぶ。アクセルを強く踏み込んだ。


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