11/ヂュンハエ!

Aug, 2004

西,つまりソウルや春川方面から合流してくる道が増えるにつれて,あたりは目立って観光化してきた。ソウルからのオプション観光の圏内なのだろう。海あり山ありのリゾートとしても手頃な距離といえる。高速も合流して,交通量もどんどん多くなってきた。

大規模な基地の町を通過する。潜水艦を使った上陸作戦に失敗した北朝鮮工作員の事件は記憶に新しい。ここは観光地であると同時に世界で最も緊張している地域の一つでもあるのだ。山の姿は見えないが,7号線は雪嶽山の北東側にまで回りこんでいるはずだ。国境は近い。整備された広場に観光案内所が見えてきた。

「寄っていこう」

温泉と言っても,ハングル文字の看板は読めないし,入浴方法やマナーも想像がつかない。

案内所で英語が通じたら,イメージがつかめるだろうと思った。渋滞する道路には停車する余地がなく,案内所の前は有料駐車場になっている。たいした金額ではないのだが,インフォメーションを訪ねるだけで駐車料をとられるのは如何んせん納得いかない。しかし観光地というのはそうしたものだ。結局,案内所は英語が通じたが,源泉を持つ「元湯」のやや詳しい場所がわかったくらいで,新たな情報はない。

ボクらは,大きな町を流れる川に沿って海岸線を離れた。出たとこ勝負,宿泊してもいいし,立ち寄りだけなら町まで戻ってモーテルを探すまでだ。夕方になって雨はほとんどやみ,霧がたちこめていて涼しい。教えられた元湯の場所には,鉄筋コンクリートのモーテルが建っていた。屋上に巨大な温泉マークを冠しているが,韓国ではこのマークは単に旅館を意味する。林を切り開いて整地しただけの妙に大きな駐車場があるので,車を入れると,続々と家族連れやカップルが風呂の道具を抱えて,ビルに歩いて行く。
「どうやらここが元湯旅館らしいぞ。」
ボクらは顔を見合わせた。秘湯とはちょっとちがうようだが,ここまできたのだからと,お風呂セットを手にフロントに向かった。

まるで日本の温泉センターか健康ランドに迷いこんだようだ。チケットを買って女は地下1F,男は地下2Fの大浴場へ下りていく。ずらりとロッカーが並び,ドライヤーつきの洗面台やら体重計やらおなじみの光景を経て浴室に入る。洗い場には数種類の浴槽にシャワーとポンプ式のシャンプーにボディソープ。ホントにここは外国なのだろうか。久しぶりで,タオルをねじって背中に回し,ゴシゴシやったりする。

湯上がりに外のベンチで冷たいものなど飲みながら待つほどに,肩にはおったタオルに洗い髪を垂らしたドレミがあがってきた。山の緑が雨に洗われてしっとりと美しい。涼しい風がドレミの髪を揺らして,シャンプーのにおいがした。

完全復活!

うどんを食べて温泉につかれば当然である。ボクたちは来た道を南下した。元湯旅館には宿泊施設もあったが,明日の天気しだいでは,ソウルに向かう前に雪嶽山を眺めてみたかった。宿泊地は慎重に選ばねばならない。ようやく暮れ始めた海を見ながらふと,山陰の海岸線を走ったときを思い出した。車載のテレビやラジオに韓国の放送が入っていたっけ。初めてSM518のラジオのスイッチを入れ,ちょっとチューニングしてみたら,あっさり日本語が流れ出した。

「NHK大阪放送って言ってるぞ。」
「みんな元気にしてるかなあ。」
「そりゃ元気だよ。一昨日おふくろのHPのBBS見たじゃん。」
「あ,そっか。」

旅先で家族を想う風情も今は昔。電子メールも掲示板への書き込みも瞬時に海を越える。

翌日のことを考えて,雪嶽山の南麓をソウル方面に少し走って泊まりたかった。小雨模様の高速道路を東に向かう。山岳地帯を春川市内まで抜けてしまうと,もし,あした晴れても,雪嶽山は見えないかも知れない。あたりは真っ暗だが,もうすっかり慣れたドレミとボクは山の中のインターから並行する国道に出た。寂しい峠を抜け,寝静まった集落をいくつか抜けると,狙い通り国道の交差点に3軒のモーテルが並んでいるのを発見した。迷わず真ん中の建物を選んで車をつけたのは,珍しくMOTELという文字や屋号がアルファベットで書いてあったからだ。もう使いこんでぼろぼろになった「指差し韓国語」を手に,ドレミがフロントに向かった。明日でレンタカーの旅も終りなので,きょうは荷物の整理がしたい。トランクを部屋に運ぶために「エレベーターありますか?」がメイン質問だが,今夜も苦戦しているようだ。応援に行こうかと思った刹名,奥から流暢な日本語とともに女の人が毬のように飛び出してきた。

「えー!あなたたち日本人ですかー!びっくりしました。日本人が車で来たのは初めてです。え?あー?これ,レンタカー?わー,びっくり!へええ,夫婦なの」

まあ,夜半,山の中のモーテルに,峠越えしてきた外国人が訪ねてくれば,世界中どこでも驚くだろうが,その山の中で日本語を聞いたボクらも驚いた。女主人は数年前まで東京に暮らしていて,帰国後,このモーテルを買い取って改装したそうだ。

「ウチは真面目なモーテルだから,泊まってってー。」

不真面目なモーテルというのはどういうのだろう。エレベーターはないけど

「息子に運ばせるから」

と,彼女が荷物を持って先に立った。さっきフロントでドレミの韓国語と格闘していた息子がトランクを運ぶ。女主人はボクたちに,東京の匂いをかいだのか,とても懐かしそうだった。何気なく勘で下りたインターから峠を越えて,偶然,東京を懐かしむオーナーのモーテルにたどり着く。きまま旅の醍醐味だ。韓国の人が東京で暮らすのは楽ではない。ボクは彼女の東京での生活が楽しい思い出ばかりであったことを願いながら,真面目なベッドにもぐりこんだ。

ぐっすり眠れたのは,久しぶりにクーラーを使わなかったからかも知れない。前夜,チェックインしたあと,部屋にエアコンがついていないのに気付いて慌てたが,標高が高いこともあって暑くなかった。

空は今にも降りだしそうな天気で,山々は霧の中だ。春川周辺は冬ソナ(ドラマ「冬のソナタ」)のメインロケ地だったと後で知った。春にNHKで再放送されたとき,

「せっかく行くんだから」

と,二人で見始めたが2,3回で挫折してしまった。宿の女主人も日本の冬ソナブームのことは知らないらしく,オデサン(五台山)の古刹を勧めた。

オデサン(五台山)は韓国最高の仏教聖地だとガイドブックにある。山の麓に料金所があった。

アメリカの国立公園では,よく見掛けるシステムで,エリア内に入る車に一台いくらの料金を課す。そのかわり,エリア内の駐車場や循環バスは無料で利用できるようになっているのだ。

五台山料金所の若者たちは,誰も英語を解せず,奥から軍服を着た初老の男がもったいぶって登場し,

「メアイヘルプュ?」

と車を覗きこんだ。怪しい車のチェックを兼ねているのかもしれない。

「このガイドブックにある二つのお寺に行きたいのですが」
「ふむふむ」

と,地図を見る軍服を,若者たちが尊敬のまなざしで見つめるが,ドレミの話が聞き取れたとは思えない。

「スィクスティサウザンウォン,パー,パースン(一人1万6千ウォンです。)」

軍服が言った。

(つ,強きな値段じゃん。)

奈良,京都なみである。物価を考慮すると,ぼられてるのではないかと思えてくる。二人で3万2千ウォンだから,「まじめな」モーテルの宿泊代に匹敵する。いやな予感がしてきた。料金の高い観光地は,たいてい中身がロクなものではない。ふだんのボクたちなら,ここでUターンするところだが,夕方にはソウルに戻らなければならないので,今更他に回るわけにもいかず,軍服に料金を払った。

「さよならー」

と,日本語で挨拶する軍服に,また若者たちは感動していた。「さよなら」は発音しやすいのか,一般の韓国人が最もよく知っている日本語らしく,あちらこちらで聞いたが,別れるときの万能語と思われているふしがある。

美しい渓流に沿って,未舗装の道を進み月精寺の駐車場に着いた。予感が的中していた。参道を歩くとすぐに,カラフルな提灯がたくさん下がった下品なアーチがある。寺院が近付くと,やたらに張られている横断幕の中で,一休さんみたいな小ボウズのキャラクター絵が愛想をふりまいている。


本堂脇の建物はお土産屋さんで,手水のひしゃくはピンクのプラスチック製だった。事務所はけばけばしいほど立派で,高級車が並んでいる。帰りには参道が,トレーニングウエアを着た高校生の集団に占拠されていた。

ふてくされながら体操していて,ボクらが通ると,男も女もじろりと視線を投げるだけだ。部活の合宿らしいが,家族連れの通行人が通れずに困っていても,顧問の先生は知らん顔だった。細かい雨が降ったりやんだりしていたし,

「ここは見なかったことにしよう」

と,潔く失敗を認めて,ボクらは高速のインターに向かった。

途中,ガソリンスタンドで最後の給油をした。借りたとき空っぽだったので,満タンにすることはないのだが,ソウルまでの距離も燃費もわからないから仕方ない。韓国の物価は,およそ東京の6割くらいだが,唯一,日本より高いものがある。ガソリンだ。1割ほど高い。

ソウルで最初にレンタカーを借りたとき,まずガソリンを満タンにしよううとしたら,フーンが

「満タンだと7万ウォンもするが,いいのか?」

と心配そうに聞いた。少し高いが,ボクたちがふだん使っている車はハイオク仕様なので,そんなものかとも思ったものだ。それでは,韓国の人はこの世界一(たぶん)高いガソリンで走っているのかというと,そうではない。ほとんどがLPG仕様なのだ。LPGはプロパンガスのことで,日本ではタクシーに使われている。ガソリンよりも安くてクリーンなようだが,いかんせん巨大なタンクが必要だ。韓国ではLPGの使用を奨励するために,ガソリンに破格の関税がかけられているのだろう。日本車をほとんど見掛けないことも,レンタカーを借りるとき,ジョーたちが

「ガソリン車しかないのか」

と,レンタカー屋さんに詰め寄ったわけも納得できる。旅の途中で,そのことに気付いたので,ソウルに戻ったあと確かめてみると,やはりハナの小型セダンもお父さんのSUVもLPG車だった。

雨はあがってきたが,高速道路は激しく渋滞しはじめた。土曜の昼すぎなので,上りはすいているだろうと予想していたのに,車でびっちり埋まっている。どれくらい続いているのか,事故かなにかによるものなのか,電光掲示板が読めないのでわからない。ドレミは地図をずっと調べている。週末のソウル市内を中心街のロッテホテルまで行かなければならない。今まででいちばん大変だったタウンドライブは,一方通行と路面電車が入り組んでいるプラハだったが,今回はそれに勝るとも劣らないだろう。チェコ語より読みにくい標識に暴走バスが待っている。

サービスエリアの真っ赤なラーメン…どうやら韓国ではラーメンといえば,インスタントラーメンのことらしい。どこの店でも生麺はなかた。…をすすりながら,ドレミが決断したコースは完璧だった。高速を中心街に向かわず,東の外れから国道6号に下りる。地図で見る限り,国道6号はもっとも優先関係の強い道路だ。この道路が中心街の真北にさしかかったところで左に折れるのだが,その交差点は,二人で散歩したタプコル公園の角だ。回りの風景までありありと目に浮かぶ。まず,間違うことはないだろう。ここを曲がれば,あとは右折だけを3回使ってロッテホテルの車寄せにも右折で入れる。さすが専属ナビゲーター。これ以上安全なコースはないだろう。ボクらは,もしタプコル公園の角が左折禁止だったときのことも考え,一つ西で曲がった場合の対策まで練って渋滞の本線に戻った。唯一の心配は,国道6号がトンデムン(東大門)のロータリーを通過することだが,これはその場の判断とテクニックで切り抜けるしかない。 高速がソウルに近付くと急に車が流れ出した。ドレミが番号表記の違う地図を苦もなく読んで,首尾良く予定の揚州南インターを流出する。いよいよ戦闘開始だ。不案内の道を行くときには,流れよりわずかに速く走り,強引に進路を主張する方が安全だ。暴走バスが並びかけても,タクシーが割り込もうとしても頭を押さえる。こんなときボクは頭がすーっと冷えて,クールになることができる。道路は狂ったような交通量だ。回りを押さえて前に出なければ,果てしなく割り込まれ,後ろからクラクションの嵐を浴びるだろう。懸案のトンデムンも,手前の信号を先頭で飛び出して,目的の車線に滑り込んだ。ここまで来ればあと一息。やたらに国旗が目立つ。

「15日って日本では終戦記念日だけど…」

「ど,独立記念日か!」

よく見ると,あちこちで,集会が催され,起動隊のような警備陣も出動している。道路はパニックに近い様相を呈してきた。

「うっ」

中心街に入って,いくつか大きな交差点を通過したところで,二人同時にうなった。全て左折禁止になっている。

「国道6号,大きすぎたか…」

果たしてタプコル公園の角も曲がることができない。ひしめく車の海を斜めに進んで右折し,ロータリーを利用して南に反転した。そのまま,中心街に突入して,勘を頼りに何とかかんとかロッテホテルに到着した。

長いレンタカーの旅が終った。

懐かしのサボイホテルにチェックインすると,フロントにハナからの伝言が入っていた。電話して待ち合わせると,ほどなくフーンも駆けつけてくれた。ミョンドンの韓食レストランで鍋を囲んで,ご機嫌ほろ酔いになったボクは,古代の環日本海交易について語り始めた。


三内丸山や日本海側の縄文遺跡から,日本海を中心にして,朝鮮半島と日本列島の活発な交易の痕跡が出土している。


今でこそソウルは西の黄海に,東京は太平洋側に臨み,どちらも日本海側はローカルなイメージで,まるで日本海を囲む国ぐにが背中を向け合っているようだ。しかし,国家がはっきりしていなかった古代には,きっと日本海の水運を利して,人々はこの海を中心に,丸く向き合っていたに違いない。

北方領土や竹島は国家間では,確かに大問題だと思うが,この地域に限らず,世界中の領土問題は国家間で争う限り,永久に解決しないだろう。経済や文化の交流を通して,いつか政治的な国境が意味を失うのを辛抱強く待つしかないのではないか。日本海の呼称も問題になっているが,この国際化時代に5ヶ国に囲まれた海を国際上も日本海だとがんばるとか,自分の国の東にあるから,東海と呼べとか,あまりにもナンセンスではないだろか。いっそこの機会に「ヂュンハェ(中海)」とでも改め,海に港を持つ都市同士の交流を援助していったらどうだろうか。プロジェクト名は「臨中海都市ネットワーク」。

と,もちろん,夢みたいな理想論だが,これを演説できるほどボクは英語が達者ではない。手ぶり身ぶりで単語を並べて,一生懸命伝えようとした。

しかし,フーンの反応は期待外れだった。酔っていたので定かではないが,彼はボクの話をさえぎって,確かこのように言ったと思う。

「竹島(独島)のことは,まるで道を歩いているときに,いきなり持っているかばんをよこせと言われたようなものだ。私たちの政府の対応も悪い。日本政府が竹島を測量しているのを放置した。我が国が先んじるべきであった。竹島の歌がある。韓国人はみなこの歌を知っている。」

そして,歌を数フレーズ口ずさんだ。ボクは少なからず落胆した。フーンの話した竹島のたとえばなしと似た話を,韓国の政治家が話しているのをニュースかなにかで見た記憶があった。ニューヨークに留学した若者たちにして,この国際感覚だ。日本の若者はもっとひどいのかもしれない。理想は遠く,国境のない未来なんてこないのかもしれない。ボクはすぐに話題を変えた。もとより,旅の空でボクのロマンチズムが思いついた,多分に感傷的で現実離れした臨中海の幻想を強弁する理由もない。ソウジュの酔いにまかせて,楽しく鍋をつつけば,話もはずむ。

店を出たところで,ボクはフーンに聞いた。

「今夜はどれくらい付き合ってもらえるの?」

「All night」

こともなげに言い放つ。少なくともこの若者は純粋なだけだろう。

ハナのHPを見ると,ボクとドレミは未だに「私たちの日本人に対するイメージを一新させた友人」と紹介されている。が,ボクたちはきわめて標準的なフツウの日本人だ。

冬ソナのブームは期せずしてそれを証明していると思う。彼らの知っていた日本人…政治家や右翼団体や水原で会ったような日本人ビジネスマン…は,たぶんフツウの日本人ではないのだろう。ボクらはタクシーで南大門のマーケットに向かった。確かに南大門はAll nightの勢いだった。ハナがさかんにデジカメでボクたちや自分の写真を撮る。彼女は今,デジカメにはまってるのだ。メカ好きのフーンはと言うと,

「Shu,ボクはD70を買うことしたよ。」

ドレミが受けること受けること。D70というのは,二コンの最新型の一眼デジカメだ。フーンがボクのKissデジタルを見れば

「必ず興味を持って欲しがるわよ。」

とドレミが予言していた通りになった。

ハナとフーンは民芸品の店にボクたちを連れて行って,おめんをお土産に買ってくれた。

「これはご両親に」

と家へのお土産までもらってしまった。いつか彼らもジョーやヨンエも東京に来てくれる。そのときまで,借りにしとこう。


サボイホテルの部屋でスタバのコーヒーを飲んで彼らと別れた。またいつかきっと会うのだ。


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