02/塀の中

Nov, 2012

囲碁の序盤戦で,プロが局面とは無関係な遠い目に石を置く…あれである。

布石と言うやつだ。

ちょうどこの日,網走刑務所で年に一度の矯正展が開かれていた。言わば刑務所のお祭で,受刑者の作った農作物や木工細工の直売や所内見学ツアーが催される。改めて数えてみたら,ボクはこれまで網走に延べ7泊していたが,まだ一度も網走刑務所に行ったことはなかった。観光地嫌いも徹底している。

だからもちろん矯正展に行くのは妻のリクエストに応えてのことである。ドレミもことさらに刑務所を見学したいわけではない。ただ人やお店の集まるにぎやかなところが好きなのだ。快くそれに付き合ってポイントを稼いでおく…そう,布石である。これでこのあとは,踏み切りでローカル線を1時間待とうと,湖畔でひたすら鳥を追いかけていようと妻は文句を言わないだろう。チョコレートと文庫本さえ与えておけば,おとなしく待っている。

人ごみ,雑踏,長蛇の列を覚悟しながら着いてみれば,まことローカルな村祭の風情。レンガ門の前では和太鼓保存会とか児童会鼓笛隊などが発表会を催し,倉庫やテントには,大学の学園祭よりもプアな出店が並んでいた。

いかん!!これではドレミのご機嫌が取れないのでは…。

広場にパイプ椅子と事務テーブルを並べただけのテラス席にどっかと腰掛けながらボクはちょっと心配になった。もし,ドレミが「さびしすぎてつまらない.」と言ったら,せっかくの布石効果がぱぁーである。

ところがどっこい,それは杞憂だった。ぴゅーっと出店や直売所を一回りしてきたドレミが興奮しながら報告に戻ってた。

「ねえ,ねえ,ホタテのさつま揚げとかカニ汁とか売ってて美味しそうだよ.買ってもいい?」

…しめしめ,こんなお祭でもかろうじて妻の「にぎやかスポット基準」に合格したようだ。ここは攻めである。攻めの布石である。

よーし,せっかく来たんだから,所内見学ツアーの時間を待ちながら,買い食いしてお昼の代わりにしようか。

「やったー!!」

妻はガッツポーズすると小躍りして出店の列に走っていく。そして発泡スチロールの容器によそわれたカニ汁をこぼさないよう目の高さにささげ持ちながら慎重に戻ってきた。

「席,取っといてね。」

カニ汁をテーブルに置くと,今度はさつま揚げのテントに向かって行った。取っておくも何も,テーブル席の人はきわめて疎らである。湯気をあげるカニ汁は花咲カニのぶつ切りが一切れにネギが浮いているだけのシンプルな味噌汁だった。これで喜んでいる妻が少々不憫に思えてきた。

所内見学ツアーは作業場から大浴場まで,居住区以外のほとんどを看守さんが楽しく解説しながら案内してくれた。情報公開の一環だそうだ。隣接する官舎の設備が慢性的に不足していて,受刑者が個室を与えられているのに,所員たちは二人三人部屋で暮らしていることなど,こんな機会でもなければ知る由もない。

「さ,次は北方民族資料館ね。今日は文化の日で無料開放なんだって。ぜったい行かなくっちゃ。」

え!?…やられた。先手を取られた。もう一石,打たねばならないようである。敵もなかなかる(笑)

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