11/風蓮湖

Nov, 2012

旅の最終日,ボクたちは風蓮湖沿いを北上します.天気が悪かったので,ここまで風景の写真がほとんどありません.

ようやく晴れた自由な一日, 気になる小道は入ってみます.別海町の美しい牧場風景が続いています.何回目かの小道アタックでこの沼に当たりました.すると対岸にまたしても番いのタンチョウが舞い降りて来たではありませんか.

うーん,さすがに遠すぎます.車に戻って湖の反対側に回りこみました.対岸には岸に出る道はありませんが,鳥のいるだいたいの位置はわかっています.

ちょっと行ってくるわ.

道に停めた車にドレミを残したまま,7Dを袈裟懸けにして湿地の雑木林に踏み込みました.思ったより湖が遠い上にところどころ泥沼になっていて真っ直ぐには進めません.ようやく前方が開けたところで,湖のまた別の遠い岸に小さくタンチョウが飛んでゆくのが見えました.

ちっ!ぐずぐずしている間に気づかれたか.やっぱ,こういうところでの撮影には胸まで来るゴム長みたいなのがいるな.

撮影はあきらめて,振り向いたところが…

のわー!!

どっちから来たんだろ.わかりません.不安に思いながらも少し戻ると,背後の湖が見えなくなりました.

あれ?

空は明るいのですが,いつのまにか雲が一面にかかって太陽の位置も分かりません.さらに上を見上げていたら…

ぬぷぷぷぷぷ!!おわあああぁー!!

足元が泥沼にはまり,右足が足首まで沈んでしまいました.バランスを崩したので,方角もますますわからなくなりました.

…もしかして,これ,遭難してる?

根室半島では数年前にも遭難しそうになった経験があります.海岸の絶壁近くにあるチャシの跡を探していて霧に巻かれ,進退窮まったのです.あのときは視界0mにもかかわらず,まさかまさかのタローが来た道を正確に辿ったため九死に一生を得ました.いちおう犬だということが証明されたわけですが,そのタローは今回,東京に留守番です.

ま,まずいな.とりあえずドレミに連絡しようと携帯電話を取り出しましたが,案の定,圏外です.

そのときです.液晶画面を見ていて,プレインストールされている方位磁針を思い出したわけです.みなさん,圏外でもコンパスは働くことをご存知でしたか.それはGPSを使っているからです.そもそもスマートフォンのアプリなんてひとつも使ったことのないボクが,朝焼けや月の出などを撮影するために,唯一,使っていた機能が方位磁針だったのです.

方角さえ分かれば,ボクは人並みはずれた方向感覚を持っているので,自分の位置をさっきまで見ていたナビ画面の地図上に俯瞰してイメージできるのです.ほぼ,まっすぐに車の停まっている場所に戻ることができました.林に入ってから40分ほどがたっていました.さすがにドレミも心配していたかと思いきや,さにあらず.

「え?そんなに長く行ってたの?読んでる本がどきどきのクライマックスに入って夢中で読んでたから気づかなかったー.」

ありゃりゃりゃ.待っている間にドレミは遠く1960年代の東ドイツに行ってレジスタンスに参加していたようです.

冒険を終えて海岸線に戻り,尾岱沼の道の駅まできました.南から飛んできたカモメがすうっとひとっ飛びに尾岱沼を越え野付半島に渡っていきます.その向こうに大きな島が横たわっています.

Остров Кунашир (オストロヴ クナシール)…国後島です.ロシアの実効支配領が知床半島と差し違えるように深く根室海峡にめり込んでいます.カモメが渡ったこの海岸から野付半島までの数キロをさらに進めば,その海上にはロシアの主張する国境があります.その向こうで捕れたカニはロシア産輸入品として根室や宗谷に水揚げされるのです.敗戦国が味わう屈辱をこれほど目の当たりにできる場所はなかなかありません.

北方領土はもともと誰の島か.…それは先住北方民族の島です.ロシア人も大和民族も侵略者です.しかし,近現代の歴史と地理に鑑みれば,ロシアによる国後,歯舞の実効支配ほど日本にとって理不尽で屈辱的なことは他にないでしょう.もし,江戸時代に松前藩がきちんと機能していれば,もし,太平洋戦争後の歴代政府が真剣に取り組んでいれば,現状は全くちがっていたはずです.

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